2016年1月17日 礼拝メッセージ
うしろのものを忘れ ピリピ3:12~16
使徒パウロは神様から生まれる前から、選ばれた器でした。主の働きに着くまで、パウロは全く知らないで、只、主の者たちを捕え、迫害を続けていました。
神様は、人間では理解出来ないことをなさいます。
新約聖書は、福音書以外はほとんどパウロが書いた手紙です。
パウロはイエス様と直接お会いしたわけではありませんが、イエス様のことを誰よりも知っている者でした。
パウロの書いた言葉は、『聖霊様の啓示』によって書かれています。
私たちも、聖霊様の啓示によって、『主にある人生を歩む方向性』、これからどのように生きて行ったら良いか、どこへ行ったら良いのかという具体的なことを見出して行きたいと思います。
今日のメッセージは『後ろのものを忘れ』と言うタイトルをもって御言葉を伝えます。
ピリピ3:12~16
12、私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。
ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。
13、兄弟たちよ。私は、すでに捕えたなど考えてはいません。ただこの一事に励んでいます。すなわち、後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み。
14、キリスト・イエスにおいて召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一新に走っているのです。
15、ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。
16、それはどれとそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。
パウロはダマスコで驚くべき体験をしました。
サウロがダマスコに多くのクリスチャンが集まっているよいう情報を得て、彼らを捕えるためにダマスコへ向かう途中で天から光が照らされ、声が聞こえました。
サウロ、サウロ何故私を迫害しているのか。
驚いてサウロは馬から落ちてひざまずきました。
主よ。あなたはどなたですか。と思わず質問したのです。
すると、天から声がありました。
私は、あなたが迫害しているイエスである。
使徒パウロは、この時から180度変わった人生を歩み始めました。
このイエス・キリストの声を聞くことによって、パウロの歩みがまったく変わり、新しい人生の出発が始まりました。
言いかえますと、「彼の目標が変えられた」のです。
迫害していた者が、伝える者に変えられました。
私たちも歩むべき目標を持ちたいです。
御言葉に導かれ、目標に向かって歩む者になりたいものです。
私は15年前頃になりますが、カナダ・トロントでリニューアルが起きていること知りました。そして、ツアーが計画されていました。私はそのツアーに参加したのです。その時代、聖霊様を知りませんでした。礼拝も今のような礼拝ではなく、週報で礼拝の順番が書かれて、それに沿って礼拝をしていました。また、聖霊様を語ることはありませんでした。知らなかったからです。
知らないということは恐ろしいことです。神学校では教えられませんでした。
トロントでまず驚いたのは、楽器が大きなスピーカーで大音響を鳴り響いていたことでした。
私は幼い頃から教会に行っていましたので礼拝のイメージが焼き付いていました。足踏みオルガンを弾かれて、静かな礼拝でした。
聖霊様の臨在は全く知りませんでした。
「聖霊様の臨在ある霊的礼拝」は、当時の私の信仰理解では有りえないことでした。
私は、今まで経験がない大音響についていけないで5分で耳を押さえて、明日帰ろうと思いました。ついてゆけない自分がありました。
しかし、人間の意志では制御出来ない四次元の世界があることもこの時に知りました。聖霊様はトロントの教会で自由に働いておられました。私はトロントのメンバーに頭に触って祈て頂く按手を受けると床に倒れて、天から電流が下り失神しそうになりました。ゼラチンのような厚いものが熱湯となって背中に流れてきました。やけどをすると思った瞬間、天にも昇るような温かい、平安に満ちた熱湯でありました。左足の先から何か物体が触れて、その物体は私のからだ中を動き回りました。不思議な世界です。一日中、理由もないのに笑い転げました。有る時は手の平が金色になり、人に触れると倒れて行きました。私はもたいないので、シャワーを浴びると消えてしまうにではないかと思いシャワーは中止して、布団にそーと入り、朝ソート見るとありました。最後の日は早朝4時に空港に向かうことになっていましたので、ホテルに早めに帰ることにしていました。玄関を出ると、私の足が反対にくるっと回転して教会の方に向かうのです。いやいやホテルと思って自分でホテルの方に向くと、また同じことが起きて、3回ありましたので、これは聖霊様が教会にいなさいということだと思い教会に戻りました。すると、私の頭から顔に天から油がど~と注がれてもうびっくりでしたが、感謝しましてようやくホテルに帰ることが出来ました。聖霊様は意志があることを知ったのです。
聖書では「しるしと不思議と奇跡」と書かれています。使徒の働きを見ますと初代教会時代は、まさにこの御言葉がそのままの世界でありました。
使徒の働き4章30~31節
30、御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。
31、彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神の言葉を大胆に語り出した。
使徒の働き10章30節
30、それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられている全ての者を癒されました。
愛するみなさん、良く聞いてください。
聖霊様の働きは現代の時代も同じです。
聖霊行伝は2000年前からず~と現代、また未来まで続いていきます。
私はそれ以来、私の人生は180度変わりました。その時以来、聖霊様が私の心の中で住まわれ、生きて働いておられます。
「聖霊様の臨在」が教会に注がれ、ある時は「いやしの霊」として、ある時は「励ましの霊」として、また「慰めの霊」として天から降り注がれます。私は最近、この見分けが出来るようになってきました。
霊的世界があります。四次元の世界です。
その世界は、いやしがあり、異言があり、預言があります。また悪霊からの解放があります。そして、その根底に『神様の愛』があるのです。
創造主である神様の愛がない世界は偽りです。
私たちの礼拝は「霊的礼拝」です。「霊的礼拝」は聖霊様のご臨在があります。
イエス様は言われました。
マタイ7:7
7、求め続けなさい。そうすれば、あなたがたのために与えられます。探し続けなさい。そうすれば、あなたがたは見つけます。叩き続けなさい。そうすれば、あなたがたのために開かれます。(白畑訳)
イエス様は言われました。
マタイ17章21節
21、ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。
イエス様は語りました。
この種とは、『悪霊に付かれた者を解放する』ことを指しています。『悪霊追い出し』は祈りと断食がないと出て行かないと言われました。何故断食が必要なのでしょうか。
ベニー・ヒンは次のように定義しました。
神様は霊、体、たましいを異なった機能に創造されました。
私たちの中にある霊は、神様と親しく知る部分です。「霊は神様を意識します。」
私たちの体は、その中に宿る入れ物です。体は世を意識します。
私たちのたましいは知性、意志、感情です。たましいは自己を意識します。
悪霊追い出しが出来る条件は、体=肉の領域から、霊とが入れ替わるのです。私は何回も悪霊追い出しをしてきました。霊的戦いの領域です。
パウロは言われました。
エペソ6章12節
12、私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
使徒パウロは、『臨在を運ぶ者』に変えられました。自分はどこへ行くのかという方向性を定められました。自分にどういう使命が与えられているのかを悟りました。
今日の御言葉には『ただ捕らようと追及してい行く、ただ、自分に与えられた使命を追及して歩んで行く。』と心の底から語っています。
愛するみなさん
主イエス様が、あなたのために十字架上でご自身の血を流してくださり、私の罪の身代わりとして、贖いのための死によって、誰でも信じるならば、天国行の切符を頂き、永遠の命の約束を頂けます。これが『救い』です。
救われた者として、どんな生活を、どんな生き方を、どんな人生を歩むのか、聖霊様の香りがする者に変えられて歩む人生を獲得しましょう。つかみましょう。願えば与えられます。
聖霊様、私はあなたを心の真ん中にお迎えします。
聖霊様、私の生涯ともにいてくださることを信じます。
聖霊様、私は主の御言葉を伝えるために走ります。
感謝します。
感謝出来ることを感謝します。
私たちの人生に何かが起こることを期待しましょう。
聖霊様はあなたに備えられた何かを用意されておられます。
神様の臨在は人の内に明確に宿ります。それは、神様は人を通してご自身が生きていることを明らかにします。
みなさんもその一人です。
聖霊様は生きておられます。
ヨハネ14章16~17節、26~27節
16、私は父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたとともにおられるためにです。
17、その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることが出来ません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたの内におられるからです。
26、しかし、助け主、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、私があなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
27、私は、あなたがたに平安を残します。私は、あなたがたに私の平安を与えます。私があなたがたに与えるのは、世が与えるものとは違います。あなたがたの心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
イエス様は語られます。
マタイ6:33
33、だから神の国と神の義をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えてこれらのものは全て与えたれます。
神の御国は神の臨在と分けて考えてはいけません。
神様の御国は聖霊様の臨在のただ中にあります。
私たちの生活における、人間関係、夫婦関係、親子関係は本当に大切なことです。しかし、親子関係の崩壊、夫婦関係の崩壊、人間関係の崩壊から起こる事件が毎日のようにニュースが流れています。本当に悲しいことです。崩壊のあとに来るものは、一生涯の心の苦しみです。この耳を疑うようなことも沢山耳にします。これらの関係の崩壊予備軍は沢山いると思います。
イエス・キリストを信じる者は、何があっても『回復』します。間違いなく『回復』します。大丈夫です。
痛ましい結果を生む前に、教会へ来てほしいと願います。
『教会は駆け込み寺』だからです。
牧師はいつでも相談に来てください。人間の一生涯を潰して不幸になることがあってはなりません。
私たちは、弱い存在なのです。その弱さをイエス様は聖霊様を通して覆ってくださいます。聖書に答えがあります。
私たちは、「内面のいやしが必要です」「罪意識に捕らわれて苦しむ必要はありません」「越えられない「トラウマ」=深い精神的な傷から解放されなければいけません」。あなたはどうですか。
あなたは、教会は入り難いと思われているかも知れません。敷居が高いと感じられる方も多くおられると思います。でも私たちの教会は『愛に満ち溢れた教会』です。
054-351-7388 教会の電話番号です。携帯 080-5192-8779
メール yoshitoishikawa@rx.tnc.ne.jp
私は牧師の石川愛人(よしと)、家内も牧師で京子先生です。
私たちは「カウンセラー」です。
伝道の書3章ではこう書かれています。
1、天の下では何事にも定まった時期があり、すべての営みに時がある。
2、生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
11、神のなされることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。
時を逃がすと、一生涯の傷を負い続ける場合があります。
時を逃がすと、次の時はなかなか来ません。
時を見分けることに優れた者は幸いです。
主があなたの責任者です。
牧師は、目に見えないお方を信じた人生を歩いています。
神は霊ですから、誰にも見えることはありません。
しかし、主イエス様と直接お会いした方もいます。
DVDで「天国は本当にある」という表題でアメリカの一人の少年が「僕はそこで「神さま」に会ってきたんだ。世界的ベストセラーとなった衝撃の実話を映画化、全米で大ヒットを記録した愛と奇跡のヒューマンドラマ!です。
また、アメリカで、デイビット・E・テーラーという牧師がおられます。
先生は実際にイエス様と会っています。また、イエス様とともに天国を見てきました。その時の様子を、イエス様は本にしなさいと言われて、2冊の本が出版されました。
「イエス様の御顔を仰ぐ」
「イエス様と天国へ旅して」
ユーチューブでも、先生の名前を入力すれば出て来ます。
昨年8月に日本に来られました。また今年の5月19~21日に中野ゼロホールで「癒しと奇跡の集会」として開かれます。
また、3月26日に、韓国のいやしの器、金 宙完(キム ジュワン)先生が教会に来られます病が癒される素晴らしい出来事が起こるでしょう。
さて、パウロは、自分がやってきたことを忘れることを決心しました。
ただ、前にあるものだけを願って進んだ人生です。
「ひたむきに前のものに向かって、それを捕えようと」と書かれてあります。
パウロは過去のことに触れます。特に、自分がクリスチャンを迫害していたこと。そこに天からイエス様の声を聞いた時、自らの人生は完全に変えられたことを、折りにふれて話しています。
愛するみなさん
前に進みましょう。
パウロは語ります。ピリピ3章12節
私はすでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようと、追求しているのです。そして、それを得るようにキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。」
まず、パウロの謙遜を見ることが出来ます。
クリスチャンは謙遜でなければいけません。
奥山先生が来てくださいましたね。先生は、僕は謙遜です。もう一度言いますが僕は謙遜です。先生が言われるとまさにそうですから、先生は日本と世界を代表する聖書学者です。また、牧師でもありますし、宣教師でもあります。
決しえ威張ることはありません。
私たちも見習いたいですね。
13節、兄弟たちよ。私は、自分がすでに捕えたなどと考えていません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろの者を忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
14、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。
アーメンです。