2016年9月11日 礼拝メッセージ
挫折からの解放 Ⅱコリント4:10~13
私たちには、誰も真似が出来ない。個々人の人格、性質というものを持っています。
そして、自分の人格、性質に「不足」を感じている人は正しい判断をされています。
私たちは、イエス・キリストを心の中に迎えた時から、霊の人として歩むことの中で、自分の人格、性格を変えられる。このことが求められています。
あなたが、過去に帰ってばかりいれば、挫折をします。
誰もが挫折した経験があると思います。
私は、関東学院大学神学部にいた時は、1970年安保の学生運動が渦巻いていた時代でした。大学には、バリケードが幾つも出来て、さまざまな色のヘルメットをかぶった学生がゲバ棒(角材)を持ってデモ行進をしていていました。機動隊がいつもいて、大学を見張っていました。ある時は、外に出て機動隊とぶつかりました。
新宿では絶え間なく、機動隊と学生がぶつかり闘っていました。私も、神学部が封鎖されて以来、学生運動に顔を出すようになり、新宿まで何回も行っていました。今は、ハーベスト神学校に通う時、また、新宿シャローム教会で東京福音リバイバル聖会の委員会に出かける時。その都度、ああ、ヘルメットをかぶってここにきたな~と思います。ああ、これゆえに長い、長い人生のトンネルに入ってしまったな~と思い出します。
私は1回、牧師を辞めて、再献身した者です。何故かと言いますと、関東学院大学神学部から、大学院に行く予定でいましたが、神学部が廃部になってしまい、1年は浪人生活で、夜間の講座に勝手に出ていました。1年を過ぎて豊橋から渥美半島の真ん中にある教会に牧師就任を頂きました。私は結婚したばかりで、新婚旅行をして、そのまま教会に行きました。それが大きな挫折への道を歩む入口でありました。「説教が出来ない」これは致命的でありました。大学で学生運動をしていた私は、大学の一番大きな校舎で、アジ演説をしていました。「ここに結集した学友諸君。我々は国家権力と闘うぞ~」そんなことをしてきた者が、説教をすることなど、出来るわけがない。説教が作れない。説教学を学んだことがない自分は、あっという間に牧師として生きることが出来なくなり、辞任しました。関東学院の神学部学生寮に戻りました。荷物を寮に入れて、しばらくの間住みました。それから、自分はどのように生きるかが分からなくなりました。人生の答えを得る旅に出かけることになりました。家庭がありましたので、働いて、働いて、本をめったやたらに読みました。完全に挫折です。何をしても答えが見つからない。とうとう10年の月日が経ちました。私は精神病院に行くことを心に感じました。ある日、新聞広告に、精神病院に職員募集があるのに気が付きました。京子先生がここは精神病院だと云うので、面接に行きました。面接の中で、老人の話しばかりで、ここは精神病院ではないのですか。と聞いたところ、精神病院はその下にあることを聞き、私は、間違えました。と言って帰ってきました。正確には京子先生の間違えて、そこは、老人病院でした。1週間ほど時間が経ったあとに来てほしいという返事があり、家の経済の事もありますので、就職しました。当面抱えている経済を考えていましたので、長くいることは考えていませんでした。その第一日目に私が見た光景は、いまでも鮮明に覚えていますが、寝たきりの病人の部屋は、ただ沈黙の部屋。誰にも語りかける人がいない悲しみの部屋、人間が生きるために必要な人間関係もなく、ただ点滴の管が一滴一滴体内に落ちて行くだけの光景、感情を忘れた老人たちの姿でした。そこで5年間いましたが、老人への薬漬け、点滴付け、検査漬け、介護の徹底的な汚さ。ごはんをどんぶりいっぱい食べるのに1日3本の点滴、国からの検査料が低くなると、検査を2回にして、1回で済んでいたものを半分ずつにしてもうける、腕に点滴の針が刺さる血管がなくなると、最後は頸動脈に針を刺して、頭を固定して、ひもで結わえて動かないようにする光景、足の指に針を刺す光景。歩いて来た老人が、1週間後には寝たきり老人にされる。褥瘡を作ると処置料が増える。「生かさず殺さず」でいるともうけるのです。まともな神経を持っていれば、怒りがこみあげてきます。私は病院で戦いました。これは間違いだ!医者にどなりつけて、これでいいのか。院長にも同じ言葉を言いました。私はケースワーカーでしたので、市にも県にもいくらでも告発出来る立場にありました。大量な薬はごはんにふりかける。この方々の苦しみの上に私の給料を得ている。これは出来ない。この自己矛盾の中で、1年間闘い、退職をしました。ここで再び挫折をしました。この最後の1年間は、いわゆる「干されて」、誰も話しをしてくれない、仕事はなし。私に話すと院長に報告すること。制裁が待っているので、心ある看護師はローカですれ違う時、小さな声で、石川さん頑張って。その言葉の励ましは嬉しかったのですが、私に話すと、その方が危ないので、答えることもなく、しかし、励ましは続きました。その間、私は、老人が寝たまま出来る「寝たきり老人体操」を世に出しました。また、老人の中間施設構想を打ち出し、テレビや新聞に掲載されました。各自もているテレビ、私の顔が一斉に出てきます。私は、内部では仕事なし、外部では、沢山の働きをしながら、施設構想もはっきり見えてきて1年後に退職しました。ここで2回目の挫折を経験します。私たち人間の命は、たった1回しかありません。このただ1回という時間の中で、どのように生きるか。それが問われています。
私が過去の話しを時々するのは、神さまが与えてくださった、たった1回の人生をいかに生きるか、天地万物の神さまの中で生きるか。その人の人生は180度変わります。
その1回が、かけがいのない時間です。時間がない。御言葉を読む時間、祈る時間を確実に確保すること。イエス様さまの十字架によって、我が罪が赦される。この単純な出来事をどう理解出来るか。ここが生きる全ての内容です。
私の人生は、挫折をしても、挫折しても、求め続けて来ました。「その最後に益に変えられた人生」になる。京子先生と二人で、御言葉を読み、祈り合いました。何回も何回も、さらに何回も何回も、苦しみを経験した者として、確信をもって申し上げることが出来ます。
人格が変えられる、礼拝と御言葉によって変えられるのです。
ローマ8:28
28、神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神が働かせて益としてくださることを、知っています。
今、読んでいる本は、アフリカ全土に福音を届ける使命をもって、自らの働きを完全に主に委ねた伝道者、ラインハルト・ボンケ師の後継者として選ばれた。ダニエル・コレンダ師の「神の声を聴く5つの秘訣」という本です。ここで書かれている内容は素晴らしいです。私は、多くのことを学んでいます。少し紹介します。是非、この本を購入されることを期待します。
「本当に価値ある人生を送りたいのであれば、あなたにいのちを与えて下さる方に、人生をかけてお仕えしなければならないのです。」
現実には、誰もが、与えられた限りあるいのちを燃やしつつ人生を消費していきます。多くの人々が何のために生きているのか、多くの人々は、そういうことを真剣に自分に問うことを、思いの中に考えていない。
ここで質問させてください。あなたは何のために生きているのですか。人生を価値あるものとするのは何ですか。持っている時間やエネルギー、財産、情熱を使って、あなたは何を前進させているのでしょうか。
マルコ8章35節ではこう言われています。『いのちを救おうと思う者はそれを失い、私と福音のために命を失う者は救われるのです。』
本当に価値のある人生を生きたいのであれば、あなたに命を与えて下さった方に、人生をかけてお仕えしなければならないのです。
本当に価値ある人生を生きたいのなら、それを実現させる方法は、ただ一つ、自分のために生きる人生を手放すしかありません。まず第1に、あなたに命を与えて下さった方に、人生をかけてお仕えしなければならないのです。
ローマ人への手紙12:1
1、そういうわけですから、兄弟たち、私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的礼拝です。
神があなたに抱いている計画が何であったとしましても、一つ確かなことは、神の計画は、あなたの要求や思いをはるかに超えているということです
全世界の主、目に見えない永遠不滅の神、全知全能の神がその御手であなたを造ったのです。しかも、あなたを母の胎内で組立て始める前から、主はその永遠の御思いの中で、あなたを細部にわたって見ておられたというのです。あなたが生まれる前から、主はあなたの人生に夢を持っておられたのだと。
先週の火曜、9月6日に、私は平塚に行って来ました。平塚で共に教会の働きをしてきたピアニストの家に行きました。来月、私の教会で行われる、清水市民クリスマス実行委員会のために使う、賛美の収録のためでした。もう30年も一緒に賛美の奉仕をしていたので、賛美を録音する時、長い間培ってきた「霊的流れ」に触れる賛美です。本当に嬉しい。感動しました。彼が鍵盤に手を置くと、不思議な聖霊さまのかおりがしてきて、賛美に命が侵入してくるのです。すばらしい賛美ですよ。みなさんは毎週聞いていますが、現在はテープで聞くしか方法がありませんね。実際に彼がピアノを弾くと、まったく違います。私と自由に賛美する世界、それは霊の世界の賛美がピアノの音になっていきます。そうして賛美として流れて来ます。もう嬉しくて、嬉しくて、二人の霊の世界が実現してきます。お互いを知る尽くした関係にありますので、素晴らしですよ。1回ですが、この教会に来て、礼拝を導いて下さいました
Ⅱコリント4:5
5、私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに、仕える、しもべなのです。
これは純粋に受け取ります。私たちは私を宣べ伝えるのでは決してありません。私たちは、イエスさまを宣べ伝え、イエスさまに仕えることです。
6節、「光が、闇の中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
創世記1章1節にこう書かれています。
初めに、神が天と地を創造した。
2節では、地は形がなく、何もなかった。闇が大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
何もなかった。水の上は闇だった。これを「混沌」と呼びます。混沌の中であったのは、闇だった。ですから、神さまは、光が必要でした。そこで、「光よ。あれ」とことばで宣言して、光が出来た。闇が光に創造された時、闇はなくなったのです。
7節、私たちは、この宝を、土の器の中にいるのです。それは、神の計り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかにされたのです。
ここに注目しましょう。
1、私たちは土の器です。その土の器の中に神さまの宝が埋め込まれています。
2、私たちは神さまの力によって創造され者です。
3、ですから、私たちは神さまのものです。神さまは、私たちから出たものでないこと。を語っています。
私たちは、「土の器です。」土の器は、土が乾燥すれば、器は壊れてしまいます。
丁度良い器を神さまはお造りになりました。私たち人間は、神さまに似た形に創造したと書かれてあります。イエスさまが地上にお生まれになった姿は、人間の形でしたね。父なる神さまも、同じように、人間の形と取っている。その姿は、人間が創造出来ないことですが、昨年、デイビット・テーラー先生は、イエスさまに案内されて、父なる神さまとお会いしたと言っておられました。もう、ただひれ伏すのみだったことを話されていました。
私たちは「土の器」ですが、非常に良いと言われています。
私たちは、壊れやすい存在ですから、神さまに守って頂くことが必要です。必要なことは、イエス・キリストを主と告白し、神の子とされることです。
土の器は宣言します。
私には未来がある!
私には生きる目的がある!
私の過去は過ぎ去った!
私は平和を創り出す者だ!
先週、私は神さまの前で「無防備」であってくださいと言いました。
「無防備ならば、悪魔悪霊どもに簡単にやられてします。」
さらに私は言葉を付け加えました。
神さまの愛を自分の信仰の証し人になりますように。
無防備ですから、神さまにいっさいをゆだねていくのです。』『神さま以外に頼るところがありません。』
『従順でありますように。』
無防備は、土の器です。簡単に壊れてしまいますから、神さまに自分の人生を委ねて、生きて行くこと。「これが信仰です。」
サタンは、私たちがイエス・キリストにある信仰を持っているということを悟らせないで、ああ。私には何もないのだ。と思わせます。
サタンは「失望を」「落胆を」「崩れ落ちる心」そういう世界に向かわせます。
ですから、こう云う思いが入ったら、「イエス・キリストの御名によって、お前に命令する。私の体から出て行け!!と、命令して下さい。
神さまは言われます。
あなたを、霊の人となるために生まれました。
繰り返します。
あなたは、霊の人となるために生まれました。
アーメンですか。
Ⅱコリント4:13
13 、私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。
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『あなたは信じた。それゆえに語った。』とあります。
あなたは、イエスさまを信じたので、イエスさまを語ります。
肯定的な言葉を語ります。
神さまに喜ばれる言葉を発し続けます。
必ず、何かを与えて下さいます!
『主にある自由とは、肯定的言葉を語る自由の世界です。』
『あなたは霊の人です。』
ハレルヤです。
愛するみなさん 良く知っておいて下さい。
神さまは、みなさんを一つの道を行くように命令しています。
それは、神の御国を建て上げるという道です。
私たちは、神の国、神の御国を建て上げる者です。
そこで、常にあるサタンがどう動くかを説明します。
悪魔悪霊どもは私たちの敵です。
あなたを感情の領域においてかき乱すことにおいて専門ですよ。
「争い」「疑い」「思いつき」をもって混乱させます。
ですから、私たちは注意しているのです。
私たちは、神の子どもです。
神さまの霊に導かれていますから、騙されてはいけません。
あながた、自分の感情を制するということは、あなたの「口」を制するということです。
みなさんは、この地における「口」です。
この地上において、今、あなたは「神の口」です。
あなたは、生ける神の油注ぎを授かっている「口」です。
あなたの「口」は力があります。」
あなたの「口」は預言的言葉を語る「口」です。
ですから、今日から「口を制する訓練」をしましょう。
「感情を訓練」しましょう。
あなたは、神さまの霊によって新しくされています。
聖霊さまによって生きると、過去はおいて行くことが出来ます。
感情に対して、イエスの御名を力強く自らを制することが出来ます。
では、どのようにして、「自分の性質、人格を」変えて行けるのか。
基本の御言葉の1番目。
ヨハネ福音書3章16節
16、神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
基本の御言葉の2番目。
ヨハネの手紙4章7節~10
7、愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
8、愛のない者に、神は分かりません。何故なら神は愛だからです。
9、神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させて下さいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
10、私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のためになだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
基本の御言葉の3番目
コリント人への手紙13章1節~2節
1 、たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
2、また、たとい私が預言にの賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識との通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持ってても、愛がないなら、何の値打ちもありません。
これらの御言葉は、私たちが挫折し、苦しむ時、真の愛こそが解放さえてくれます。どうぞ、みなさん、完全な人間はひとりも存在しません。
完全なお方は、父なる神さま、子なるイエス・キリストさま、聖霊さまがだけが完全です。
祈ります。
私たちをこよなく愛して下さっている父なる神さま、あなたの御名を賛美いたします。私たちの人生は、只1回のみです。ですから、この1回の人生を価値ある人生になれますように祈ります。ダニエル・コレレンダ先生は「本当に価値ある人生を送りたいのであれば、あなたのいのちを与えて下さる方に、人生をかけてお仕えしなければならない。と語っていました。この言葉を感謝して受けとめます。私たちのいのちは、主が創造して下さっていることを心からの感謝をいたします。毎日たくさんの問題が生じる時、それは、神さまに、感謝して、受け止める訓練を今日からします。守られています。信仰と希望と愛を持ってあなたに仕えます。神さまの愛を人々に届けることの勇気と力を与えて下さい。この1週間の歩みが、価値ある歩みになりますように、祈ります。この祈りを主イエス・キリストの御名によって祝福して祈ります。 アーメン