2016424日   礼拝メッセージ

                永遠のいのち   Ⅰヨハネ113

 

 

1、初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて

2、― このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、その証しをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―

3、私たちが見たこと、聞いたことをあなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父及び御子イエス・キリストとの交わりです。

 

1節、「初めからあったもの」からヨハネの手紙がはじまります。

神様が天地創造された時すでにおられたイエス・キリスト様をまず語ります。

私たちが聞いたこと、目で見たもの、じっと見、また手で触ったもの、すなわち、“いのちことばについて”“このいのちは、永遠のいのち“です。

 

ヨハネが伝えたかったことは、『永遠のいのちです』そして、「その命はイエス・キリスト様ご自身であることなのです。

イエス・キリスト様が「永遠の命」であると伝えています。

 

著者ヨハネも含めた、12人の弟子たちが、実際に見た、イエス様です。

 

2節、「このいのちが現れ」“神が人となって現れた”ということです。

 

3節、私たちの見たことを、聞いたことを、あなた方にも伝えるのは、私たちの交わりとは御父、及び、御子イエス・キリストとの交わりです。

聖霊様の声を聞いたことがなくても、御言葉が声です。ですから御言葉を読まないと、信仰は上がって行きません。御言葉は神様の言葉ですから、御言葉の中でイエス様を交わっている。どうしてですか、神様は生きておられるからです。

 

ここで、御父、御子イエス・キリストとの交じわることが出来ると主張している。ヨハネはここを強く主張するのです。

交わることが出来ます。イエス様は生きておられる。

 

イエス様はよみがえられ、天にお帰りになりました。そしてアバ父の右の座におられ、人間が存在する全ての人々をご存じです。

このことは驚くべきことですよ。

 

それ以来、聖霊様が遣わせれました。

生きた神様=聖霊様がこの地上におられます。

 

この終わりの時代、「私は再臨のキリスト」だと言っている人々が出現する時代です。しかし、その教祖は死ぬのです。教祖に絶大に信じ切っていた人々は途方にくれるのです。何も起こりません。だまされた!

それでも、人々を上手く丸め込むのです。

 

孔子、釈迦、モハメッドは死にました。

カール・マルクスは死にました。

親鸞、法然、日蓮、道元も死にました。

 

死んだけれど、教えを残したのです。

教えです。神と交わるのではありません。

 

教えです。教えを聞くことは出来ます。

しかし、神ではありません。

 

韓国で、私は、再臨のキリストだと云う統一協会の文 鮮明は死にました。

 

まだいくらでもありますよ

 

みな、生きていましたが死にました。人間だからです。

 

イエス様はよみがえり天に上り、アバ父の右の御座に座っておられます。現代でも、生きて働く主、聖霊様は世界中のどこでも、聖霊様来てくださいと祈るところには、訪れてくださる。

 

日本は88百の神がいると言うのです。

日本人の多くは、私は仏教だからと言います。では仏教の教えを学んでいますか、ほぼそういう人はいません。

ここ清水には、徳川家康浅間神社に祭られ、日光東照宮にも祭られています。

 

釈迦は人間でした。正確には「ゴーダマ・シッタールダ」です。

シュタールタは、「目的を達した人」という意味です。

釈迦が悟ったという教えを人々はその後、仏教という名で、様々な伝播によって日本に来ました。「教え」です。

 

戦争で勝利をしただけで、東郷平八郎は東郷神社として祭られています。

人間を祭るのですよ。

偶像礼拝がここにあります。日本では何でもありです。

 

良く聞いてください。

聖書は教えではありません。

 

生きたアバ父=お父さんとイエス様と聖霊様は生きておられ、主との交わりが出来ますし、しなければいけません。

 

そして、聖書を自己解釈をしてはいけません。

 

Ⅱペテロ120

20、それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。

 

私たちは、常にサタンから攻撃されています。

恐ろしいことは、自分の環境によって、自分が都合が良いように、勝手に解釈してしまうという誘惑があります。人間の弱点をサタンは良く知っています。

 

自己解釈」は恐ろしいのです。

 

牧師が礼拝でメッセージしているのは、正確な御言葉の解釈をして、みなさんに伝えているのです。

人間が変わる。正確には“変えられる”のです。それは礼拝からだと、牧師は毎週のように言いますが、耳のたこがつくくらい言っています。それは、自己解釈、自分の都合でその都度、その都度変わる、それを繰り返していると、聖書は神の言葉ではなくなるのです。

 

礼拝の中で聖霊様のご臨在の中で語られる御言葉の意味を知らないと、いつの間にか、軌道が反れてしまうのです。

 

Ⅱペテロ34

4、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持って、心のに中隠れた人が飾りを付けなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。

 

聖霊様は穏やかで愛なるお方です。

イエス様も同じです。

アバ父も同じです。

 

愛です。アガペーの愛です。

 

Ⅰコリント133

4、愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

5、礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

6、不正を喜ばずに真理を求めます。

7、すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

8、愛は決して耐えることはありません。

 

この御言葉は聖書の中心です。

神は愛だからです。

 

愛する兄弟姉妹

 

クリスチャンの中心は愛を生きることです。

アガペーの愛を生きることです。

 

 

私には、霊の娘と孫がいます。

私たちが、へーベスト神学校で学びを受けていた時、そこは東京第一キリスト教会の中にありました。1カ月に1回聖会があり、世界のトップの講師が招かれていました。聖会行った時のことです。

 

一人の姉妹が私たちのところに来られました。先生、私たちの娘と孫の親になってくれませんかという話しでした。私たちは、すぐに、喜んでと答えました。

それ以来、1週間に一度くらいに、電話がかかってきたり、私のほうから電話をかけたりして、様子を聞いています。私たちを、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんと呼びます。電話でもお父さんと言います。そう呼ぶことが当たり前で自然です。この娘は、現時点ででは詳しいことは言えないのですが。こんな苦しみがあるのだと思う程、苦しみの人でした。ですから、娘は、イエス様に毎日祈ることをしなければ生きられない、そういう環境の中にいます。最終的には離婚になるのですが、これがまた難しい事情を抱えていて簡単にそうはならないのです。孫は、健康保険証がないので、学校の旅行とか、キャンプとかに行けません。その都度泣くのです。かわいそうに。この二人は日本の国でもなく、韓国でもなく、20年間、架空の人物なのです。国籍なき放浪者です。この娘は韓国人で韓国では親がすでに亡くなり、どこにも相談する人がいません。結婚しているのですが、20年間奴隷のような扱いを受けて、苦しみしかなかったそういう生活を送っています。その娘は祈りの人ですから、聖霊様の声を聞くことが出来ます。聖霊様と会話することが唯一の喜びです。幻が見えて、その幻を私たちに語ります。孫が、もうすぐ高校生になるのですが、ミッションの学校に行きたいのです。小学1年の時から、英語の学校に行きました。英語しか使わない学校生活を送っていましたので、英語は堪能です。そして、預言者にこの子は預言者になると預言されています。

 

問題を解決させるために、弁護士話す時に、私たちも東京に行きました。夫のことは、顔も見たくない、声も聞きたくない。という思いがあるのです。「暴君で通していましたが、最近、娘が、夫はかわいそうな人だと思うと言いました。」夫の会社が倒産しましたけれど、次にどうするか、相談相手もいない、かわいそうな人だと。今度は日本人と結婚して幸せになってほしと言いました。夫はクリスチャンなのです。しかし、20年も妻をいじめ抜いたのです。悪霊の支配の中にいます。悪霊に好きなようのされているのです。はた目は社長ですが、心はイエス様を離れてしまいました。

 

クリスチャンだからまずいのです。生きた神から離れて行きました。ですから悪霊に簡単にやられたのです。

 

愛するみなさん

謙遜になるのです。

謙遜とはどう云うことでしょうか。

 

人から様々なことを言われても、忍耐して、自分の中にしまって怒らず、その方のために祈るのです。

奥山先生は、私は謙遜です。繰り返して言いますが謙遜です。と、いつも言われます。

1月にビル・ジョンソンの聖会がありました。私は、その委員の控室で、先生とマルコーシュの笹井奈緒子さんの3人でこんな話しになりました。私も同じように言おうかと言って大笑いをしました。奥山先生が許可しましたから、言いますよ。

牧師は謙遜です。繰り返し言いますが謙遜です。

 

牧師は憎んでいる人は記憶する範囲ではいません。

愛するみなさん、憎む相手がいるならば、赦しましょう。私の娘が言うように、かわいそうな人だとそう思うことは聖書的ですよ。憎んではいけません。憎しみは、自分で自分の心を崩壊させます。かわいそうな人だと思うことをイエス様の御名で言えるようになった。これはすごいことだと思います。人間扱いされなかった20年ですよ。苦しみ抜き、行き着いたのがこの言葉です。

 

また、牧師は欲望を持っていません。

欲望は霊的死に至らせます。

 

イエス様は、十字架上で、自らが死ぬ寸前の時に言われました。

父よ。彼らをお赦しください。彼らは、はいま何をしているのか分からないでいるのです。(ルカ2324

 

謙遜になりましょう。繰り返し言いますが、謙遜になりましょう。

みなさんのために祈っています。

この終わりの時代、確かに、激しい変化の時代に入っています。イエス様が実際に現れる。アバ父も現れる。そういう時代になっているのです。

 

私は、デイビット・テイラー聖会の委員をしています。実況テレビのように、私の耳、目はそこに向いています。アメリカでは、デイビット聖会にイエス様がお出で下さり、アバ父もお出でくださっていることを知っています。また、全世界に現れています。悪名高いISにもデイビット先生の本が届けられ、実際にISの戦闘員の前に現れて、誘拐された少年少女たちが解放されているという事実があります。

 

委員長の、アタンダ先生はアメリカで、イエス様と並んで写真に写っています。

こういうことは、日本では中々信じられませんし、受け入れられません。また、アタンダ先生はリバイバルはすでに起きている。

“イエス様が日本に滞在されている”と云う言葉を使います。私には分かります。

 

奥山先生は、アタンダ先生から、デイビット聖会の会長になってほしいと要請をしました。先生は考えました。そこで思い出したと言われて、インドネシアでジャングルの奥地にいる原住民の村が、あっと思ったらクリスチャンになっている。イエス様を信じました。不思議に思って聞いてみました。すると、イエス様が私の目に前に現れたそうです。すると、村の長が信じると、右へならいだそうです。信じるのです。

 

5月の聖会にみなが参加してほしいと願っています。イエス様が私たちの目の前に現れて、みなさんひとり一人の名前を呼んでくれないかな~とそう思っています。私たちの教会は、そういうレベルの教会を目指しています。賛美と聖霊様のご臨在とイエス様がお出でになり、天のお父様もお出でになる。

 

私は2回、イエス様とお会いしています。

 

“イエス・キリスト様はいのちです”

 

“神様はどのようなお方ですか。愛なるお方です。”

 

Ⅰヨハネ316

16、キリストは、私たちのために、ご自分の命をお捨てになりました。それによって私たちの愛が分かったのです。ですから私たちは兄弟のために、いのちを捨てるべきです。

 

Ⅰヨハネ4710

7、愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

 

10、私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私の罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 

アーメンですか

 

日本語では「愛」は一文字ですが、ギリシャ語では3つに分けられています。

1、アガペー。神様の愛です。⇒ 神的、自己犠牲的、他者中心的な愛です。

2、フィレオ―。兄弟愛、両親への愛、親子の愛、友情等です。

3、エロース。性的愛。

そのようになっています。

 

イエス様がヨハネにバプテスマを受けた時に、天から声がありました。

 

「あなたは、私の愛する子、私はそれを喜ぶ。(ルカ322)

 

全世界のクリスチャンたちは、この命が現れたことを信ずる者です。

 

良く知ってください。

 

「永遠のいのち」は“全く新しいいのちの中で生きる”と言うことです。みなさんは救われた者です。ですから、自分の内側には、最高のお方がいます。聖霊様です。

 

イエス・キリスト様がよみがえられたのでイエス・キリスト様を信ずる者は、バプテスマを受けた瞬間から、永遠のいのちを得て、人生の歩みが続きます。私たちに与えられた、いのち「それが永遠のいのち」です。

永遠のいのちは、死んでからあるのではありません。

死んだ時は天に帰ります。天国です。

 

パウロは言われました。

 

”私たちの国籍は天にある“

 

昨日、私たちの二男家族が来ました。

お姉さんは小学6年です。下の子は2才です。すごく離れていますでしょう。

 そのわけは、長男、春希君が生まれましたが、3か月で“突然死”で死んでしいました。

 

丁度、水曜祈祷会の最中に息子から電話がありました。

息子も勤務の中にいました。ですから良く分からなかったのですが、春が死んだという知らせでした。

 

私たちは、京子先生が泊まるための用意を急いでして、もう高速を120キロで走りました。私は、イエスの御名によって生き返れ!生き返れ!と叫び続けました。

平塚市民病院に駆け込み、霊安室に走りました。

霊安室に入った時に、嫁は、ママが悪かったの!ママが悪かったの!すると娘がママが悪いのではないの。ママが悪いのではないの、とこの同じ言葉を繰り返していました。ママの目はもう目が見えないくらい腫れ上がって、泣き続けていました。そういうことが息子家族は体験したのです。幾人もの警察官がいました。私は警察に、メスを入れてはいけない!家で死ぬと、必ず、警察が来ます。京子先生のお母さんも夜中にトイレで倒れた時そうでした。

 

人生で、このような体験をすることはめったにあることではありません。こういうことはあってはなりませんが事実です。次の子どもは、お腹の中で成長が止まって、全身麻酔で、取り出しました。

 

かわいそうに。

 

ローマ818

18、今の時のいろいろな苦しみは、将来私たちは啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと考えます。

 

この御言葉は、ひどい言葉のように感じますか?心のない言葉に聞こえますか?冗談ではないよと思いますか?残酷だ!と思いますか。

 

息子夫婦と、娘はそう云う体験をしました。娘は誰よりも人を思いやる子に成長しました。精神年齢が高くなっていて、学校の子どもたちと遊ぶことは週1回くらいだそうです。そして、3人目の子ども、大希君が生まれました。この大希君はもう毎日元気すぎて、もうママもパパも、お姉さんも、大変なのです。心の傷は一生涯消えることはないでしょう。しかし、元気が良すぎてどんどん走っていきますから、追いかけるのが大変なのです。昨日、大希君たちと日本平の動物園に行きました。大希君は走り回って目が離せません。娘はもうママみたいです。走りまわる大希君は、家族の苦しみの中で、悲しみを忘れさせる希望の存在になりました。

 

神様は不思議なことをされます。その実はどういう実になるのでしょうか。信仰を持って見守っています。

 

祈ります。

愛する父なり神様。今日の礼拝に出席し、主を誉めたたえることが出来たことを感謝いたします。アバ父も、イエス様も、聖霊様も愛を持って生きておられることを学びました。誠実で神様の愛を解き放つ者でありますように、心から願います。1週間はあっと云う間に過ぎ去っていきます。イエス様がご再臨されることを信じます。どうぞ主よ。私の中におられる聖霊様、あなたは生きておられることが今日も分かりました。永遠のいのちはイエス様であることを感謝します。私たちは、永遠のいのちの中でこの地上の歩みができることも学びました。5月にあるデイビット聖会にみなが参加し。恵みに満たされますように切に祈ります。これからに1週間の旅路が良き時でありますようになりますように。この祈りを主イエス・キリストに御名によって祝福して祈ります。

アーメン