Ⅰコリント13:4~8
□聖書を一言で表して下さいと言われたら、「神様は愛です」と答えます。
□神様は愛です。という時、では、人間の「愛」はどう違うのでしょうか。
□私たちクリスチャンは神様の霊が注がれています。イエス様を信じる者は誰でも聖霊が注がれます。
□クリスチャンは天の御国、天国を信じています。その天国は清さで満ち溢れているところです。この世のドロドロしたものが清さで消されていきます。
黙示録4章を見ますと、昼も夜も絶え間なく、聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、と歌われ続けていることをヨハネは描写しています。
□また、聖書は「神の国はあなた方の只中にある」と書かれています。
神の国は聖霊様から、「神様の愛」「平安」「喜び」が注がれているのです。
礼拝で、賛美が天に向かって歌い、御言葉が開かれ、祈りが捧げられる。
□礼拝以上の祝福はありません。人間が変わるのは礼拝からです。
礼拝で恵みを受け、1回、2回と積み上げられて、神の国が立て上げられます。
信仰が強くなります。神の国が礼拝を重ねるごとに心の中が、世のどろどろから、清い世界の中に入っていきます。ですから「礼拝」をおろそかにしてはいけません。また、礼拝を律法的に型にはめてもいけません。只、神様に焦点に合わせて、心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして礼拝をする時に「神様の霊が下るのです。
□ Ⅰコリント13:4~8
4、愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
5、礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
6、不正を喜ばずに真理を喜びます。
7、全てを我慢し、全てを信じ、全てを期待し、全てを耐え忍びます。
8、愛は決して耐えることがありません。
Ⅰヨハネ1:1
1、初めからあったもの、私たちが聞いいたもの、目で見たもの、じっと見、また、手でさわったもの、すなわち、命の言葉について。
□ 初めからあったもの、と記されています。すなわち、元々おられた神様、その神様は愛が元々あったのです。
その神様は真理でした。命でした。
元々有ったのですから、人間が否定することは出来ません。
どんなに否定しても、無くなることはありません。
人々がどう思っても、神の愛は変わることがありません。
人間は変わりますが、神様は絶対です。
□ 人間は今、その方を愛していても、ある日、まったく反対になることがあります。何か問題が起こると、他人を批判し、自分のほうが正しいと主張することがあります。
□ この世は、どろどろしています。汚れているのです。何故ですか、この君、悪魔悪霊どもが支配しているからです。
□人間の愛はいつでも変わります。変化します。
夫婦が壊れ、親子関係が崩れ、兄弟関係が憎しみ合い、また、上手くいかない
ということが山ほどあります。この世はどろどろして、汚いです。人間の愛は永遠に続くものではありません。
□ 聖書で言っている愛は「神様の愛」です。
「元々有った愛」です。
変化出来ない愛です。
永遠の愛です。
天国へ続く愛です。
□ 有名人が亡くなると、テレビでその様子が写ります。そこで、天国へ行って下さいと言います。これらは、何も分からないでそう言っているだけです。
普遍的な、全ての人々に繋がる愛です。
□この人はダメ、あの人はダメというものはありません。
神様は愛ですから、強盗でも、悪いことをした人でも、みな神様のものです。
神様はあなたを一生涯愛して下さいます。
あなたは神様から愛されています。
□ 神様の愛は命だからです。
私は、石川愛人という肉体の命を持っています。
同時に、石川愛人は「霊的命」を頂いている者です。
聖書が愛を語る時には、「霊的命」が基礎に置かれています。
神様の「命」ヘブル語で「ネフェシュ」ギリシャ語では「ゾーエー」は、肉体の命と霊的命を指します。命は神様から与えられたものです。ですから大事にしなければなりません。
□ 命には「寛容」が「あります。
命には「親切」があります。
命には「自慢する」ことがありません。「高慢になることはありません」
命には、「礼儀」があります。
命には「自分の利益」を求めません。
命には「怒りがありません」
このようにして、神様の愛を読みならば、私たちはいかに愛がないかわかります。
□ 完全なる神様しか真の愛はないことが良く分かります。
ですから、私たちは「完全になることは出来ません」、完全さに」向かう者なのです。神様を信じているならば、永遠の愛が溢れ出てきます。いつも求めましょう。
□ 日本人の離婚率は年々増えていて、29万組が離婚しています。一番高いのは沖縄です。29万組を時間で見ますと、1、49秒に1組が離婚となっています。
世界を見ますと、ロシアが2組に1組だそうです。別居とか含めますともっと多いでしょうね。ある日突然盲目にるわけです。このように人間は変化するのです。コロコロと変わっていくのです。
盲目とは結婚しても、お互いを理解しようとしません。他人同士ですから、生きてきた過程がまったく違います。
□ すなわち、「価値観を共有」出来ないのです。さらにいうならば、「価値観がない」、ということです。
クリスチャンの「価値観は聖書にあります」「神様を知っています。」
人間の本質を御言葉から見出すのです。ですから、礼拝を大事にして下さい。
さて、前に進みます。
□ 愛には目的があります。
その目的は、天国に入れるという目的です。
永遠の命の中で生きるという目的です。
人間を救うという目的です。
ヨハネ3:16、17
16、神は、実に、そのひとり子をお与えにになった程に、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることがなく、永遠の命を持つためである。
17、神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くたえではなく、御子のよって世が救われるためである。
□ 父なる神様が、イエス・キリストを遣わした意味は、人間の罪と呪いを解放されるために、十字架にかかり身代わりとして死んで下さったということです。この事実は何回も何回も聞いていますが、これを自分の心の中に何回も何回も頭から話してはありません。
□ イエス様を信じることは、神様の命を受けることです。
神様の命をまるごと頂くことです。
命は神様だけです。
□ そこで、神様という言葉が問題になります。
神様という言葉は、いわゆる宗教と一色たんに理解されてしまうのです。
新しい聖書の翻訳(現改訳)が進んでいますが、この神という言葉をどう表現するかということで論議されました。
日本で最初に翻訳された聖書は「神」としました。
今進んでいる新しい聖書は「神」と「主」を分けています。
「神」はそのままですが、「主」は横に「ヤーウェ」と書かれてあります。
また、もう一つ「創造主」とした聖書が出版されました。
□ 私たちの命はいつか消えます。その後は「天国か地獄」でしかありません。
イエス様を信じる者は天国です。
良く知って下さい。聖書はあなたを脅しているのではありません。
ヨハネ3:16を読みます。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになった程に、この世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである・
しかし、イエス・キリストという言葉も問題になります。異端である「エホバの証人=ものみの塔」もイエス・キリストと言います。統一教会も同じです。
現代社会はややこしいですね。
一生懸命神様の命に生きた人々が天国にいます。
□ 昨年、12月5日、南アフリカ共和国の民衆を導いたネルソン・マンデラ氏が天に召されました。彼は、「アパルトヘイト」という「人種隔離政策」の撤廃のために命を懸けて戦いました。黒人を動物のように殺した白人に多くの黒人たちは「白人に極刑を」と叫ぶ黒人過激派を抑えて、「赦し」と「癒し」の人種差別を撤廃する運動をしました。マンデラ氏は若くして逮捕されて終身刑となり、ケープタウン沖のロベン島に投獄されて、27年間獄中性生活をしましたが、彼は、不屈の精神で耐え抜き、さらに、囚人たちの権利確率のために当局と戦いました。マンデラ氏が真に偉大なのは、権力者を恐れない勇気だけではなく、イエス様の愛に根ざしたキリスト者の愛であったのです。聖書に記されている平和を求め、敵をも愛し、普遍的な世界平和を求めたことにあります。
マンデラ氏の葬儀の時には、オバマ大統領など世界の指導者が参列したことは皆さんテレビで見られたと思います。
□ ダニエル書を開きますと、ダニエルの時代に王となっていたネブカレネザル王が、ダニエルに金の偶像を拝めと命令をしました。
しかし、ダニエルはそれを拒否しました。ダニエルに従った弟子、シャデラク、メシャク、アベデネゴの3人も拒否しました。
ダニエル3:16、17、18、25~27
16、シャデラク、メシャク、アベデネゴはネブカレネザル王にこう言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。
17、もし、そうならば、私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことが出来ます。
18、しかし、もしそうでなくても、王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。
25、すると王は言った。「だが、私には、火の中を縄を解かれて歩いている4人が見える。しかも彼らは何の害を受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。
26、それから、ネブカレネザルは火の燃える炉の口に近づいて言った。シャデラク、メシャク、アベネネゴは火の中から出てきた。
四人目はイエス様です。イエス様が守られたのです。
□ 命は神様のものです。
神様の命に触れられるように祈りましょう。