マタイの福音書6章33節
33、だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

□ 神の義と人間の義とは違います。神の義は律法からきています。しかし、人間が実行出来ないので、イエス様が十字架に掛って、人間の罪、呪いを身代わりに受けて下さいました。

□ 私たちの神様は、人間を石や木でお造りにはなりませんでした。神様の手で神様の形に似せて造られました。すなわち、人間がそこで創造されたのです。世界、全宇宙が出来る前から神様は存在していたのです。聖書はそのように言っています。人間がアメーバーから進化し、お猿さんになり、人間になったと言う進化論は仮説であって真実ではありません。人格をお持ちの神様から創造されたので、人間にも人格があるのです。お猿さんに人格がありますか。ありません。

□ 「神様は愛」でしかないのです。「神様の光は愛」です。「元から存在していた神様は愛」でした。「元から存在していた神様は正義でした真理」でした。

□ これが私たちが信じている神様です。神様は絶対で普遍的で、永遠です。

□ 律法とは何でしょう。神様がモーセに与えた十の約束十戒です。
1、私の他に何ものも神としてはいけない。
2、偶像を造り、拝んではならない。
3、神の名をみだりにとなえてはならない。
4、安息日を第一に守りなさい。
―ここまでは神様への律法です。次からは人間に対しての律法です―
5、父と母を敬いなさい。
6、殺してはならない。
7、姦淫してはいけない。
8、偽りを言ってはいけない。
10、隣りの家のものをむさぼってはいけない。

□ アメリカの裁判所には、この十戒が掲げられていますが、それを取りされという運動が一方であります。神様の力が強く働いて、取り去られないように祈りたいと思います。

□ 神様が定めた、これらの律法が人間には出来ませんでした。それゆえ、神様はご自分のひとり子イエス様を地上に遣わし、十字架に付けて殺され、人間の罪、呪いを引き受けてくれました。ですから、イエス様を信じたら呪いは取り去られます。

□ 完全なものが、もともとありましたから、完全なお方、神様がお語りにましたから、クリスチャンは神の国と神の義を第一にするのです。

□ イエス様を信じたなら、罪も呪いも取り去られます。

□ クリスチャンは最初に受け取るものは「神の国」です。簡単ですね。理屈ではないのです。聖書にそう書いてあるから、アーメンなのです。

□ 神様に答えるならば、誰でも、神様は救われます。簡単でしょう。その簡単なことが人間はなかなか出来ません。間もなく、リバイバルの火が日本全土に降り注ぎます。その時には人々が総崩れして教会へ来ます。その時は近いのですから、教会は準備していなければなりません。その準備の中心は御言葉と祈りです。新宿シャローム教会ではショップという24時間365日祈りが捧げられ続けています。ここ清水でも実現したらと牧師は祈っています。

□ 私たちは、救われるために、難行苦行する必要はありません。聖霊様がご臨在してあなたを覆われています。そこには平安があります。奇跡が起きます。解放が起こります。只、信じるだけです。神様の平安がほしいならば、聖霊様を求めて下さい。簡単です。難しくしているのは「神学」です。神学は人間が聖書を読んで、啓示された学問ですが世界で日本で、あまりにも多い教団教派があります。自分たちの教理こそ正しいと主張してあいけません。自分たちが気が付かなかった理解を受け入れ合い、喧嘩しないで、批判ばかりしないでいたいと思います。喧嘩、批判をすればサタンに足場を築かせるだけです。

□ ピリピ3:9、13、14
9、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことが出来る、という望みがあるからです。
13、兄弟たちよ。私は自分はすでに捉えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひた向きに前のものに向かって進み、
14、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。

□ 私たちは、イエス。キリストを信じた瞬間、あなたは神の子です。ですから、神の子らしく生きることを学びましょう。

□ パウロ先生のように「謙遜で真実を求める誠実な生き方」を得たいと思います。それは、神の栄冠を得たいからです。

□ 「私は、すでに捉えたなどと考えたことはない」と言うのです。
ユダヤのサンヘドリンという律法を学ぶ大学の優等生の中の優等生であったパウロは先生は、イエス様とお会いした瞬間パウロ先生の考えが根元から変えられて行きました。どのように変えられて行ったのでしょうか。それは、神様と親しい関係の中で聖霊様のご臨在に触れる中で、「謙遜を学び」「誠実な生き方に変わりました。「人格」が備えられて行きました。

□ 皆さん良く知って下さい。クリスチャンは死ぬことはありません。人間は必ず死にます。私の両親も死にました。私の両親は天国です。クリスチャンだったからです。クリスチャンのシは、神様と肉体が分離されたことを言います。「霊」になります。肉体はちりに帰ります。霊になるとは、天国で永遠に死ぬことのない者として、天国で安らぎ、心配することも、嘆くこともない、平安の世界で生きています。

□ 神様は完全です。私たちは「完全さ」に向かって、「神様!完全な愛を下さい!主よくださ~~いと叫んで祈って下さい。

□ イエス様は与えられます。
叩き続ける者は開かれます。
探し求める者は見出します。
大胆に求める信仰は、只、一心に求めるパウロ先生と同じです。やがて天に行けば、イエスさまが、あなたの冠を用意されています。ハレルヤ!です。

□ 聖霊様があなたに触れています。分からなければ、分かるようにさせて下さいと求めて下さい。祈って下さい、必ず分かります。
私が、聖霊様も知ったのは、大和カルバリーチャペルの大川従道先生でした。1ヶ月に1回「ミラクル聖会」を開いていることを、平塚の姉妹から知らされ、初めて按手を受けました。その瞬間倒れて身動くが出来なくなりました。何か不思議な力が私の体を動かしていました。お腹に太い指がぎゅ~と入って来ました。それが何回も続いたのです。それが具体的に聖霊様に触れられた最初でした。私は、神学校で聖霊様のことを聞いたことがありませんでしたから、まったく知りませんでした。教えられないとうことは恐ろしいことです。まったくの無知でした。それ以来、聖書を読むと、どこを開いても「聖霊」という言葉が書かれてあります。衝撃的でした。長い間牧師をしてきて、聖霊様をまったく知らないで、説教していたのです。信徒に申しわけなかったと思いました。

□ その体験から間もなく、日比谷公会堂でフレーソン聖会がありました。行かねければ「ソン」だと思って行ってきました。おっかなびっくりでした。会場に入りますと、賛美をしていました。私は賛美歌と聖歌しかしませんでしたので、初めて聞きました。よく見ると手を上げているではないですか。あれは何だろうと思いました。会場に「祈り」をするアナウンスがありました。私の席の前も後ろも、右も左も、日本語ではない、聞いたことがない言葉で祈っていました。時間が経つにつれて気持ちわるい感じになりました。最後に、牧師は講壇に上がって下さいと言われたので、講壇に行きましたら、当時私は髭を生やしていましたの、直ぐに止められて、あなたは幕屋ですか。え!幕屋、何だろうと思いましたが、違うことを話して講壇の一番後ろに立っていました。良く見ると、次々に按手されると後ろに倒れて行くではありませんか。私は、絶対に倒れないと構えましたが、2メートルくらい飛ばされてしまったんです。

聖霊体験もしまして、「異言」が与えられました。日本語で祈ると長くは祈れません。異言は自分の考えがありません。自然に口が動いてくれます。それ以来聖霊様との関係が与えられ、至高の喜びと感謝の祈りをしております。

ハレルヤ!の賛美を新しい年に歌います。