■聖霊なる神臨在に中で行われる礼拝、私たちの人生を変えます。聖霊様はキリストにあって、キリストの体としての自分自身を立て上げることが聖霊様の最終的な目的です。
■ローマ8:16
私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、証ししてくださいます。
■私たちはこの世にいる間、苦しみが伴います。これらを避けて生きることは出来ません。特にパウロはキリストにあって苦しみました。しかし、パウロはキリストと共に預かる栄光を得るために苦しみも共に受けるべきだと言っています。神の子とされたことは素晴らしいことですが、神の子としてこの地上で生きる間、支払うべき代価がある。そこを通らないと栄光に至ることは出来ません。
■支払うべき代価とは何でしょうか。
■ローマ8:18
18、今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されるようとしている栄光に比べれば、取るに足らない。
■サタンは人を操り、イエス様を釘付けにしました。イエス様が十字架かかってから2000年が経った現代においても、私たちは、問題の壁、試練の壁希望を失う程の体験を人生の中で経験してきています。
■私たちは苦難を避けて生きることは出来ませんイエス・キリストの希望はいつもあります。この希望のゆえに、あらゆる壁は乗り越えていくことが出来るのです。
■ローマ8:19
19、被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。
20、それは被造物が虚無に服したのですが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。
■被造物はイエス様信じたを私たちを言っています。「虚無」とは「無情、空虚、何者のない。意味をしています。虚無と未来に与えられた栄光と対比させてパウロは語っています。
■今の苦難だけを見て失望ぜず、これから来る栄光を仰ぎ見て、力を得ることを求め続けて下さい。
■「神の計画」があります。それは、神の子として、キリストの姿に似ていくことを、聖霊様の力強い働きを体験してください。
■パウロは「私が弱い時に強い」と言いました。この御言葉は聖書の奥義です。また、「どうしても誇る必要があるなら、自分の弱さを誇ります」とも語りました。自分は強いのだと自分を誇る時、サタンが侵入します。
■「私たちが弱いとは、祝福なのです。自分を誇らないから、神様の力の中にいることをクリスチャンは求めるのです。ですから、お互いの弱さを持つ存在ですから、共に主を求めるのです。
■箴言16:1~3
1、人は心に計画を持つ。
主はその舌に答えて下さる。
2、人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。
しかし、主は人のたましいの値打ちを計られる。
3、あなたのしようとすることを主に委ねよ。
そうすれば、あなたの計画は揺るがない。
■私たちは主の働きをするのです。一人一人神様が与えた力に応じて働きをします。神ご自身が、私たちを聖め、福音を語る者として遣わされています。
■求める心を主は聞かれています。神の時の中で実現します。
■私たちの生き方が、世の人々への神のメッセージであるならば、神は大いに祝福してくださるでしょう。
■あなたの口を神様が塞ぐ時があるかも知れません。語りたい言葉が沢山あっても語れない時があるかも知れません。語っても通じない。そういう時は「神の目的」の中にいることを良く知って下さい。神様にとって無駄なことは一つもありません。ただ、どのような環境に置かれても、神様は時にかなってあなたの人生に介入されます。
■私たちは、神様の目的の中で生きています。
神様はあなた忍耐強いる時があります。
神様はあなたに困難な環境に置くときがあります。
■愛するみなさん、共に神の計画を信じて歩む者でありましょう。
■神様は私たちの人生における取り扱いの過程の中で即一瞬で変わることはないことを知って下さい。歴史上の神の器たちは、一瞬にして変わったのではありません。ただ、その変化は一つの行程の結果であり、神様との交わりにおいて変えられていくものです。
■あなたは、インスタントコーヒーではありません。霊の速度に従って実を得ていくのです。そのことを知る人こそ、主のしもべとして生きる者の姿です。