ヨハネ4:23~24
■御言葉を読みます。
■ヨハネ4:23、「しかし、まことの礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝するときが来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
24、神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。
■2節の「まこと」の意味は「真理」を指し、「真理」とは御言葉を指しています。⇒ まことの礼拝は、聖霊様と真理、御言葉を高く上げること、天を見上げている信仰です。
■当時のサマリヤ人たちは、「真理のない礼拝を捧げており。」「ユダヤ人たちは聖霊様の伴わない礼拝を捧げていました。お互いに自分たちを主張しあっていました。自分こそ正しいと主張することは人間を堕落させます。
■クリスチャンは「聖霊様の住まわれる宮」として選ばれました。ですから、私たちの体が、聖霊の宮となる礼拝を神様は求めておられます。
■ローマ人への手紙12:1~2
1、そういうわけですから、兄弟たち、神の憐れみのゆえに、あなた方にお願いします。あなた方の体を、神に受け入れられる、聖なる、生きた供え物として捧げなさい。それこそ、あなた方の霊的礼拝です。
2、この世の調子に合わせてはいけません。いや、むしろ、神の御心は何か、すなわち、何がよいことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
■2節の「変えなさい」は「変えられ続けなさい」という意味です。すなわち、自分の力が及ばない領域、聖霊様によって自分が変えられ続けながら人生を歩み、進んでいきなさいという意味です。
■私たちは、神様の憐れみによって、生きることを許可されています。
■毎日祈る言葉は、「私のような愚かな者を今日も新しい朝を迎えることが出来ることを感謝します。自分のような愚か者を選び分かたれる存在として、毎日歩まされ、私は勝利者として生きる特権を与えられた人生を感謝します。私を守り、支えてくださっていることを感謝します。1日を、感謝を持って始めるのです。祈りはここから始まります。
■礼拝なくして自分の問題、自分の悩み、自分の限界を超えることは出来ません。そいう意味で私たちは、「生活礼拝者」です。毎日が礼拝です。
■私たちは常に「変化する者」「変化し続ける者」です。自分では理解出来ないような「ゆっくりした霊的速度」あるいは「速い霊的速度」で動かされています。聖霊様は私たちの全てをご存知です。聖霊様が私たちの歩む速度を決めておられます。速い時もあり、ゆっくりな時もあります。
■人は誰でも、霊的疲れを感じる時があります。その時こそ、素晴らしい時です。神様を真剣に求める時です。霊的飢え渇きの状態こそ霊的に成長する時だからです。主よ、私は疲れ切っています。聖霊様あなたの力が必要です。助けてください。と声を出して、あるいは、自分の部屋で静かにお話してください。平安があなたを覆います。
■ローマ8:26~27
26、御霊は同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちはどのようにして祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、言いようのないうめきによって私たちのためにとりなしてくださいます。
27、人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かを良く知っておられます。何故なら、御霊は、神の心に従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
■御霊とは聖霊様です。⇒ 26節で「うめき」という言葉が使われていますギリシャ語で「うめき」とは「現在の苦しみと将来の望み」という二つをこめた意味で使われています。
■
私たちの過去は消えることは出来ませんが、イエス様の十字架の贖によって、私たちの過去の罪は消されました。私たちは将来に向かって「希望」が与えられ、神様の愛の中で生きることを許されています。
■これが神の国の法則です。イエス様を救い主と信じ、告白をするならば、救われるのです。単純な真理です。
■まことのクリスチャンは「将来を見続けます」現在を見てばかりいるならば心がなえてしまいます。「希望に生きる者は幸いな者です。希望は失望に終わることはありません。」
■人間は鈍感な存在です。自分の内面の姿を見ることがなかなか出来ません。人間はもともと「生まれた時から罪を背負っていました」、生まれた時、自分はヤクザになろうと思って生まれた人は一人もいません。自分は強盗になろうと生まれた人も一人もいません。人生を生きる中で様々な出来事にぶつかり、挫折し、言いようのない困難の中で苦しみ、自分では決して解決出来ない壁の前で立ち尽くしまう、そういう体験が人間に襲いかかり、神様の愛に生きることが素晴らしい人生の始まりであることを知らないので、サタンによって堕落させられてしまいます。
■私たちは、「生きた聖なる備え物」として、霊的な目、鋭い感覚、敏感な識別力を得て、生きる者の人生は何よりも素晴らしい人生です。
■ピリピ1:9、10 ⇒ 私は祈っています。あなた方の愛が真の知識とあらゆる識別力によって豊かになり、10、あなた方が、真の優れたものを見分けることが出来るようになりますように。また、あなた方が、キリストの日に純真で非難されることがなく、イエス・キリストによって与えられた義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように。
■人生を歩む者としての大切なことは、沢山のことを成し遂げることでも、何か完璧にすることを成し遂げることでもありません。いつでも何に対しても、感謝し、喜んで歩むことです。
■「鈍感は罪です」「鈍感になると、自分が見えなくなります。」「自分が見えないということは、自己中心で生きていることを指します。」「何事も喜んで、する時、主はあなたに、あらゆるものを与えてくださいます。