■神への従順は学ぶことと同時に実行することにあります。それは、「神の御心を行うことだからです。

■マタイ7:21~23
21、私に向かって「主よ、主よ」と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられる私の父の御心を行う者が入るのです。
22、その日には、大勢の者が私に言うでしょう。「主よ、主よ、私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇跡を沢山行ったではありませんか。
23、しかし、その時、私は彼らにこう宣告します。「私はあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。私から離れていけ。

■23節の「その時」とは「イエス様が再び来られる、再臨の時」を指しています。

■この御言葉を別な言葉で表すてみます。
不従順な働き人よ、あなた方は賜物を受けたのに、送り主から離れてしまった。油注ぎを受けたのに、主にひざまずかなかった。自分勝手に生きている、私から離れよ。

■私たちは、一人のたましいに自分を与えられている賜物を捧げ尽くす者です。
クリスチャンの生き方の第一は、神の国文化、お金が優先されるのではありません。「天に宝を積むことが最も優れた価値」です。

■私は沢山の献金がほしいと思っています。世界中で食べることもままならない方々、特のイスラエルのための献金を捧げたいと願っています。
また、中国では聖書が圧倒的に不足しています。昨年の3:11の大震災のためにも捧げたい、心からこれらの主にあって尊い働きに捧げたいのです。

■私たちは、人から評価を受けるのではなく、神様が評価されることを求めるならば、聖霊様はその人に臨在と油注ぎを受けるでしょう。

■教会は、報いを求めず、神様からの祝福を求めるのです。

■Ⅱコリント5:9~10
9、そういうわけで、肉体の中であろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とすることは、主に喜ばれることです。
10、何故なら、私たちはみな、キリストの裁きの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて、報いを受けるからです。

■私の尊敬するスティーブンス栄子牧師は、イスラエルで20年あまり働きを持ってきました。今は、ご主人が病いにかかり、アメリカに帰り、スティーブンス栄子・ミニストリース、オメガ バイブルスタディーの働きを開始されました。その中で感動的な実話をお話下さったので、紹介します。

■アメリカのある教会で伝道集会がありました。牧師は会衆にイエス様を受け入れる方は前に出てくるように呼びかけました。多くの方々が講壇の前に出たのです。牧師は一人一人に祈りをしましたが、全部の方々には出来なかったようです。一人の方に祈っていたところ、隣りの青年が、神様、僕ジョンです。
神様、僕ジョンです。神様、僕ジョンです。と言っていたそうです。
幾日か経ったあと新聞でジョンが交通事故のあったという記事を見て、牧師は病院へ向かいました。医師は、助からないと言ったそうですが、牧師は、ジョンイエス様を見つけましたか、ジョンイエス様を見つけましたか。と尋ねたところ、彼は、はい、見つけました。
あのドアが空いた時、看護師さんかと思いました、でも男の方でした。するとその方は、ジョン私はイエスだよ、と答えて消えた、とジョンは牧師に話しました。
ジョンの目には、イエス様の姿が焼き付いたのです。
ジョンの心はイエス様でいっぱいだったことでしょう。その後のことは分かりません。

■神様は、「偽善と不誠実」に対して激しくとがめられます。
「偽善と不誠実」が「天の門を閉ざすからです。
イエス様は、当時、最も尊敬されていた宗教指導者と対決しました。

■教会は、クリスチャンは、この世の悪霊に染まった人々を開放し、イエスにあって、「信仰と希望と愛」を表すことを祈るのです。