奇跡のいやし

 

 私の教会員の結婚式の前夜、私は礼拝堂の天井に、ごみがあることに気がついて、ハシゴをかけてそのごみを取ろうとしたが、私が天上に手を伸ばした瞬間にはしごが落ちてしまった。はしごは固定してあったので落ちるはずがないはずであったが、はしごは落ちたのだった。そのはしごには、私の体重がかかっていたので、3メートルから落ちて意識がなくなる程の衝撃を受けて落下した。しばらくして家内が私の倒れた姿を見て飛んで来たのだった。家内は救急車に電話して、救急救命士も同伴してくれるように要請したようだった。私が意識があれば、平塚市民病院、意識がなければ東海大学病院ととっさに判断したようだった。救急車は間もなく来てくれて、私の名前を聞いたが答えられるので、平塚市民病院に搬送ということになった。

 

 倒れた私をストレッチャーに移動をした瞬間、悲鳴を上げてしまった。耐えがた痛みが襲って来た。そして、病院に着くと、病院のストレチャーに移動するわけだが、再び、悲鳴を上げた。それから、ストレッチャーに乗せられて、レントゲンを撮るために、レントゲンの大きな台に下ろされる時、それは、それは激痛が走り悲鳴を上げた。1回目は失敗で、2度も悲鳴を上げることになった。そしてさらに、レントゲンの台からストレチャーに移されるとき、再び悲鳴を上げた。腰椎1番の圧迫骨折であることが判明し、即入院となったのだが、ベットに移される時も悲鳴を上げて、ようやく落ち着いたのだった。

 

 しかし、私の意識は結婚式をしなければならないという、おかしな使命感がもたげてきて、明くる日、ベットを自分で這いずって下りた。その時はじめて、動けない自分にようやく気が付いた、ベッドに戻るしか方法がないが自力では出来ない。看護師が来てくれて、えらく怒られたのだった。そこから45日間寝たきりの生活になった。

 私がすることは、食事を自分で食べること、足を先足にならないように、足首を動かすこと。御言葉を読むこと。私の出来る範囲は限られていた。

 

 45日目がやってきた。主の不思議はここからはじまる。

 

 看護師からは、あと3ヶ月は毎日湿布だらけになりますよ。泣くのはこれからです。と宣告されたのだ。46日目がやって来た。最初にしたことは、立つことだった。平行棒に立った。しかし、私はすでに歩けていたのだった。私の手は平行棒を直接触っていなかった。平行棒を立って歩いている姿をリハビリの先生に見られていたので、もうすぐに歩くと先生に悪い気がしたので。次の日からはもう歩いてると先生に申し上げのだが、先生がは駄目ですよ。無理してはいけないと止めにはいったが、歩けます。見てください、歩けているでしょう。戸惑ったのは先生の方で、信じられない。そんなことを見たことがない。私は、主のいやしが来たと確信がきていたので、歩けると強く先生に言ったのだった。

 

 リハビリの3日目には、歩行器で歩くように先生から言われた。しかし、そんなものを使うことはない。それで、歩行器を前にほーり投げて、そこまで自分で歩いて、同じことを繰り返した。それを4日もそうしたのだった。

 

 5日目にはもう退院しても良いとう許可が出たのだった。”主の奇跡”が起きた。しかし、主の不思議はまだ止まらない。レントゲンに撮っている私の腰が、つぶれていた骨が半分再生していたのだった。明らかに完全につぶれていた。担任の医師はこれはおかしい。レントゲンの撮り直しを2回しても結果は同じだった。こんなことあり得ない。

しかし、事実は事実。主はすごいことをなさると、感謝するほかはない。

 

 平塚市民病院はじまって、こんな患者はひとりもいないと、医師、看護部長が言ってくださった。

 

 この50日の入院中に、親しくさせて頂いていた牧師先生が何人も祈りに来てくださったのだ。どれ程感謝なことか。遠方から来てくださって。申しわけなく思った。また、全国のとりなしの祈り手がいたことをも合わせて、その祈りが主に届いていた。間違えのないこの事実の前で、”主はいやし主”であると宣言したのだった。

みなさん

神様の超自然的な世界があります!
霊的いやしの世界があります!
求める者には与えられます!
求めてください!
神様にはできないことはありません。

                                              2016年7月3日

 

ハレルヤ!