旅する医者を目指す少年

 

 先週金曜に平塚へ行ってきた。平塚は私が牧会をして40年も経った教会である。その40年もの長き間、礼拝賛美の奉仕と交わりを与えられたピアニストと会うためであった。3月26日に開催されるミラクル集会の賛美を録音するためであった。彼がピアノを弾き出すとすぐさま聖霊さまの流れがキャッチされ、会衆の心を整えることが出来るたぐいまれな奉仕者である。

 

 彼には二人の子どもがいるのだが、小学5年生の誉史亜(よしあ)君が以前から医者になりたいと言っていたので、私はどういう動機で医者を目指すようになったのかを聞いてみたかった。彼は、3年前マクドナルドのCMに、病気の人への支援をする内容で、障害をもった方々の写真が掲載されていて、そういう方々に経済的のも支援をするという内容だったと言っていた。この画面が彼の心を捕え、世界中で苦しむ、貧しさの中にある人々を助けたいと思うようになったそうだ。3年前だから小学2年の時に「旅をする医者」になりたいと将来の希望となっていったのだ、実に純粋な思いに私は感動した。学校の先生には言ったそうだが、両親は只医者になりたいと言っているだけだったそうで。その日、はじめて息子の本心を知ることはなったのだが。ピアニストと共にびっくりであった。

 

 彼のお母さんはミャンマー人である。熱い信仰の持ち主である。私は彼に話した。君のお母さんの国はミャンマーで、特にカチン族は、長い間、貧困で苦しんでいるのだよ、また軍事政権の時代は大変であったと聞いている。「君はカチンの星」になるといい、だから英語とカチン語で会話出来るようになって、もう一つ話せる言語を学ぶといい、「国境なき医師団」の話しをした。そういう医者たちが世界中で苦しむ人々のために働いていることを伝えた。

 

 彼は学校の中で不登校の同級生がいたのだが、彼が積極的に話し、不登校の子が立ち直るのだそうだ。不登校の同じ組で同級生でしかわからない世界がある。両親は校長先生から感謝されたそうだ。教師では及ばない、同じ年齢の同級生だからこそ出来るわざである。

 

  彼は、小学5年でバプテスマを受けた。昨年のクリスマス礼拝の中でのことだった。ピアニストに洗礼の写真を撮ってくれるように頼み、届いた彼の顔は、小学生とは思えない、なにか決心しているかのような顔であった。だから医者になる動機を聞きたいと思ったわけである。彼の心は純粋で聖さを持ち合わせている。彼のような子どもがいる教会は生き生きするだろう、目的のために学び、聖書も学ぶ、素晴らしいではないか。

 

  私のことであるが、私は小学1年の時に牧師になりたいと思い、それが将来の希望となったのだ。 だから同じように思う誉史亜君の心の内側と共鳴する思いがあった。石川先生は応援するよと励まし、主が彼を特別に油を注ぎ、たぐいまれなピアニストの子が、たぐいまれな医者になることを目指すとは、親の信仰のうしろ姿見てのことだと思うのであった。

 

 実は、彼の弟も同じ医者になることを将来の希望となっていた。兄が医者と言うから可励武君(かれぶ)もそう言っているのだと思っていたのだが、可励武君は、僕は何回も救急車で病院で助けてもらったから、今度は僕が助ける番だということだった。彼は、いま小学2年である。素晴らしいではないか。

 

  実は私は小学1年の時に「牧師になりたい」と思ったのだ。そのときは牧師という言葉は知らなかった。ある日曜の礼拝の前に、女性の中学生か、高校生か、玄関にはいるなり泣きながら先生のもとへ走っていったのだった。そのときに木村義夫牧師が、どうしたのと、にこにこしながら、優しく背中に手を置いてこの女性の話を聞きいている姿を見て私は感動した。その瞬間私の心の中で何かをとらえた。不思議な感覚が宿ったのだった。「木村先生のようになりたい」いう思いが宿ったのだった。

 

 誉史亜君と可励武君の心の中に宿った思いは簡単に消えることはないだろう。同時期に私も同じような思いを持ち、高校生になっても消えることはなかったように、この二人が、大きな夢を持ったこことを聞き、かつての私を思いだしながら、この夢を見る二人を応援したいと思ったのだった。

 

 たぐいまれなピアニストにはたぐいまれな子どもが育つ。なるほど、この家族は水曜は家族で祈祷会をもっている。二人が、そういう思いを持たせる環境があたりまえとなっているのだ。

 

 私は二人の思いを心地良く聞き、この二人の大いなる希望に主が助けると信じる。両親は莫大な金がかかる分野だから、大変になるだろうなと、つい思ってしまったのだが。

                                        2016年3月11日