第1節 3世紀のリバイバル ― 修道院運動
3世紀の終わりごろからは、修道院運動がリバイバル運動の様相を呈して発展していく、
修道士たちは神への絶対的献身、祈りと学びと瞑想の生活を強調し、社会的、霊的退廃の暗黒時
(500~1300)とも言われているこの頃に、霊的に輝いた存在となった。制度的教会で失われてしまった、聖霊の超自然的賜物も、修道院運動の中に見られ、多くの修道士たちが祈りの力を得ようとし、いやしや悪霊の抑圧からの解放や他のしるしや奇跡を生ずる霊的力を受けようとようと言う。
レオン・ジョセフ・スエネンズは「修道院運動は事実、そのはじまりにおいて一つのカリスマ運動であった。とも言いきっている。
修道院運動では、アント二―(251~356、修道院運動の創設者とも言われている)パコミウス(292~346)、アナタナシウス(295~373)、ヒラリオン(305~287)、アンプロンウス(340~397)彼のメッセージはアウグスチウスを真理に導く役割を果たし、アウグスティヌスに洗礼を授けている。ジェロメ(347~420、聖書のラテン語訳で有名になりました。後に来たアフリカのヒップ監督となり、アウグススチウス(354~430、387年に回心し、後に北アフリカのヒップ監督となり、教会の教父の中で最も偉大な人物として、しばしば言及される)ヌルシアのベネディクト(480~547、529年にモンテカシーニョで修道院を設立、後の中世の多くの修道院革命運動の原型ともなる)などが活躍する。(1)
この時代の理解と特徴
この時代、すなわち3世紀の時代から、リバイバル運動は起こっていて、それは、現在の私たちの時代の在り方をすでに持ち合わせていたことである。聖霊の超自然的賜物を求め、一つのカリスマ運動だったということに注目する必要があると思わずはいられないのである。「歴史は繰り返す」と言う言葉があるが、我々も同じように、聖霊様を求め、この時代に起きているリバイバルは、謙遜になり、私たちの時代の独自な事柄ではなく、聖霊様の超自然的現れは、どの時代にあっても変わることがない。
第2節 12世紀、13世紀のリバイバル ― アルビ派
12世紀になると、アルビ派=(カタリ「純潔」派)とも云う=が制度的教会内で蔓延しはじめている不敬虔な行動に抵抗しした。邪悪を嫌悪し、カトリック教会の偽りの教会として鋭く対立した。
会堂を持たず、庶民の好みに応じた礼拝が成され、単純さが好まれた。また戦争に反対し、全員が宣教師、伝道者のように主に仕えた。信仰的には福音主義の傾向を示し、聖霊による奇跡のミニストリーにも道を開いていた。しかし、13世紀初頭からカトリック教会はアルビ派を弾圧しはじめた。(2)
第3節 信徒運動とワルドー派
12世紀初期ごろからの信徒運動もリバイバル運動として位置づけることも出来る。これらの信徒運動にはユトレヒトのタンケルム、ブルイズのペテロ、ローナンズのヘンリー、プレシャーのアーノルド派のウイクリフが顕著な働きをした。ワルドー派を例にとってみると、この派は既成教会の形式主義と権威主義に反対した。彼らは使徒時代の力強い熱情の回復のために献身して戦っていった。また、積極的な伝道を展開し、激しい反対にあったにも関わらず、真理のメッセージを明快に宣べ伝え、1世紀のクリスチャンが持っていた霊的力を再獲得する聖書中心のプログラムを
もっていた。この派はピエール・ワルドーという人物から出発している。
彼はフランスの市の裕福な商人であったが、彼の心は金銭では満たされなかった。1176年ごろ、新約聖書の翻訳書を手に入れた。その中のマタイの福音書は10章5~13節にある主イエスの弟子たちへの御言葉に心打たれた。彼は家族への充分な生活費を与えながらも、残りの所有物を売り払い、得たお金を施し、全き献身を踏み出した。彼は生涯貧しく暮らすことを誓いをたてた。謙遜、献身、幸福の実践は、平安を求める多くの人々の心をとらえた。
ワルドー派は、ここから二人一組で巡回伝道をし、人々の間に入っていった。そして貧欲、贅沢、放銃を責めた。説教は単純かつ個人的で、彼らの奨励と不屈の信仰を持って進んでいった。彼らは新約聖書のキリスト教を生きようとし、いやしは彼らの信仰の生き生きとした側面であった。また、男女のミニストリーの性的格差を取り除き、信徒のミニストリーを推進し、制度的任命よりも主からの召命や御霊の賜物に応じることがミニストリーの基礎であった。ワルドー派は、16世紀には宗教改革と同一視される面もあった。
注
- 尾形守著・リバイバルのゲ源流を辿る・p18~19・マルコーシュ・パブリケーション
(2)同p19
(3)同p 20
傍線筆者