2016年4月17日 礼拝メッセージ
イエスの御名で宣言する ルカ:4:14~22
はじめに
熊本県で大きな地震があったことを知らされました。どうぞ、困難の中にいます、多くのみなさんのお体が守られますように、亡くなった方々の家族に慰めがありますように。日本中がこの災害と災害の中にある方たちのことを覚えています。家を失われた方々が、家族で新たな家が与えられますように祈ります。
今日は、「イエス様の御名で宣言する」ということを御言葉から分かち合います。
先週の日曜の午後3時半から韓国の宣教チームが来られました。みなさんが駿河区の栄光教会の作業所に布を送っていましたね。その教会のチョン・スギョン先生が通訳をされて、私が全ての進行をする担当になっていました。京子先生が証しをし、韓国のチームリーダーの牧師先生が証しをし、最後に私がメッセージをしました。それから、祈祷会に移って行きました。私がピアノを弾ける方はおられませんか。問いかけると、一人の女性が手を上げました。素晴らしいピアノでした。私は祈りの課題を言うだけで、韓国人たが祈り、私は賛美をし続けていました。1時間くらいになるでしょうか。歌い続けました。私は本当に喜びが湧き上がってきました。
明くる日、自分の体が楽になっていることを感じました。いやしが入ったこが分かりました。いやしの集会をどのように進めていったらよいという課題にこのやり方が自分に一番合っているのだと思いました
自分の型ですね。
私は聖歌が大好きで、聖歌で育ちましたから余計いいです。長い間、賛美に絶大な力があることを知っていましたから、賛美を大事にしてきました。
長い牧会生活で、“礼拝は賛美で決まる”そう思い続けて礼拝賛美を準備してきました。“自分の中におられる聖霊様と一体になる賛美”です。
“信仰深い有能なピアニストがほしい”思います。私たちは、オルガンの世界からピアノの賛美の世界になりました。もちろんオルガンはだめだと言っているのではありません。みなさんにお願いがあります。ピアニストが与えられるように祈ってください。私が祈ったってと思わないでください。どんな小さな祈りも聖霊様は聞きいてくださいます。
“聖霊様が下ると、私たちは新しい人生へと進んでいきます”
“聖霊様の特別な霊的祝福を受ける”ことが出きます。
“人生に特別な変化を体験します。”
今日の御言葉に移ります。
ルカ4:14、
14、イエスは御霊の力を帯びてガリラヤ湖に帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。
イエス様は、40日の断食のあとに悪魔の誘惑が待ってました。
4:3.4、
3、そこで悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。
4、イエスは答えられた。「人はパンのみで生きるのではない、と書いてある。
マタイでは、「人はパンのみで生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつのことばによる」と書いてあります。
15、イエスは、彼らの会堂で教え、みなの人にあがめられた。
イエス様の時代は、どこへ行っても、シナゴーグがありました。教会です。幼い時代からユダヤ人は旧約聖書の中で生きていました。
イエス様は、まったく以前とは違うイエス様になって、帰って来ました。
それで、多くの人々がその変化に気いて、その評判があっと云う間に広まりました。どのように広まったのでしょうか口から口へと伝わったわけです。
“まったく変えられたイエス様がそこにあった”ということが重要です。
全く変わった。
14節で、御霊の力を帯びてガリラヤ湖に帰ってきた。とあります。
マタイ4:1
1、さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野へ上っていった。
と書かれています。
荒野へ行く時も「聖霊様に導かれて」
荒野から帰って来る時も「御霊の力を帯びて」
聖霊様が全てをされていたことが分かります。
さらにイエス様がバプテスマのヨハネからバプテスマを受けた時に、聖霊様が鳩の形をしてイエス様に臨みました。ヨハネはイエス様が川に入って来る時、メシヤだと分かります。“メシヤとは油注がれた者”という意味です。
マタイ:3:16、17
16、こうしてイエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
17、また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは私の愛する子、私はそれを喜ぶ。
“聖霊様はイエス様と共におられました。”
“イエス様のあらゆる行動の中におられました。”
人間に聖霊様が臨んだ時は、イエス様ご自身が天に帰る時からです。
ヨハネ14:16、17前半
16、私は父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられます。
17、その方は真理の御霊です。
私たちも、聖霊様によって変えられます。
先週は、使徒1、2章から聖霊様が弟子たちに臨んだことを見ました。
ヨハネ14:16では聖霊様を“その方”と語りました。“その方”ですよ。“聖霊様は人格を持っておられる”ことに注目しましょう。
イエス様は、幼い頃からシナゴーグに通っていたのですから、シナゴーグでイザヤ書を読みました。
ルカ18はイザヤ書61章です。
18、私の上に御霊がおらえる。
主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、
私の油を注がれるのだから、
次々と聖霊様が臨んでいることが分かりますでしょう。
21、イエスは人々にこう言って話し始められた。今日、聖書のこの御言葉が、あなたがたが聞いた通りに実現しました。
22、みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人はヨセフの子ではないか。」と彼らは言った。
みなが驚きました。あのヨセフの子ではないか。
“今日のメッセージの第一番目”
“イエス様の中にある人は、これから何か不思議なことが起きます。
神様の力が、神様の霊が臨むならば、あなたは本当に内なる変化が起きます。
あなたの人生が変化します。必ずです。必ず何かが変化します。
信じる者は幸いです。“
私たちは、誰に評価されたいですか。
夫ですか、妻ですか。親ですか。
子どもですか。
兄弟姉妹ですか。
友人ですか。
大きな団体ですか。
神様から、“あなたは私に忠実だった。良く仕えて来た。私のしもべよ。”と言われることが最も重要なことです。
牧師は、天国へ帰ったら、“善にして注なるしもべ、良くやった。”と言われたいです。
油注がれると、人間はどのように変化するのかと言いますと。
“愛と憐れみと慈しみがあなたの口から出て来ます。”
“あなたの口から出ることばは、人々を励まし、助け、助言者の働きとなって、口が用いられます。”
“平安を伝える者になります。”
“油注がれる者は、命を語ります”
“油注がれると、愛を語る者になります”
“従順する者になります”
“知識を学びます。知識が知恵の言葉となって語りはじめます”
知恵の言葉は年齢に関係なく霊的識別力が備えられ、人々を励まし、慈しみ言葉を得ることが出来ます。
“何が主がなさることなのか。”
“何がサタンのものかを、見分ける”という意味です
“瞬時に見分けることが出来る”ようになっていきます。
私は無理だと思いますか。
与えるのは主ですから、あなたが心配する必要はありません。
人生はイエス様を中心に生きることです。
イエス様が常に心の中で働きます。
御言葉を読めば読む程、御言葉の力が身についてきます。
主がそのようにします。
箴言13:3、14
3、自分の口を見張る者には命を守り、
くちびるを大きく開く者には滅びが来る。
14、知恵のある者の教えは命の泉、
これによって死のわなを逃れることが出来る。
多くの人々が失望と言う束縛の中にあります。
“失望から希望への道があります。”
それは、“口を守る者です“
“知恵を持って生きる人です”
そうすれば必ず、道は開かれます。
“人に喜ばれることを第一にしないで、神様を第一にすることそうすると、御言葉に従順する者に変えられます”
そのためには、礼拝を大事にしましょう。
“礼拝がない生活は自分を滅びに至らせます”
聖霊様のご臨在の中で礼拝を守りましょう。
礼拝をする時に、イエス様を見ることです。
そうすれば、聖霊様はあなたを取扱います。
聖霊様から取り扱いを受けると、悪霊が攻撃します。
どういうふうに攻撃するのかと言いますと、“疑う心”を植え付けようとします。
悪霊は“イエス様を疑うように仕向けます”
徐々に徐々にです。
気を付けてください。
絶対に気を付けてください。
何回も言います。気を付けてください。
自分では知らぬ間にですよ。
霊的礼拝を求めなければ、悪霊は攻撃しません。
そのかわり、聖霊様からの油をもらえません。
“油は神の力です”
“臨在は命です”
聖霊の実があなたの中に増大して行けば行く程、あなたは主のしもべとなっていきます。
ガラテヤ5:22,23
22、しかし、聖霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23、柔和、自制です。このようなことを禁ずる律法はありません。
あなたは、主から遣わされた者になります。
毎日“宣言”してください。
“イエスの御名によって宣言する。私は主のしもべだ!”
宣言することによって、あなたは神様から認められる人になって行きます。
そして、あなたは成長していきます。成長するために、あなたは「ケアを必要としています。また、自分はケアが必要だと謙遜に認める人になることです。
第二番目
イエス様は“成就した”と言われました。
イエス様は言われました。
マタイ6:33
33、神の国と神の義を第一に求めなさい。
神の国とは、⇒ 神の支配を指しています。
どの人も、神様の支配の中にいます。
4:21
イエス様は多くの人々に、聖書の言葉が実現したと言いました。
私がその人だと言ったわけです。
“成就した”と宣言しました。
人々は、このことば、宣言の言葉に怒りました。
この言葉によって、後の十字架への道を進むきっかけになりました。
“成就したということは、神様の計画が成就する時が来た”と云うことです。
御言葉が前後しますが、
4:18を見てください。
18、私の上に主の御霊がおられる。
主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、
私に油を注がれたのだから、
主は私を遣わされた。
捕らわれ人に赦免を、
盲人には目の開かれることを告げるために。
虐げられている人々に自由にし、
主の恵みの年を告げ知らせるために。
捕らわれ人とは、サタンのとりこになっている人のこと。
盲人とは、サタンによってイエス様を見えなくされている人のこと。
虐げられているとは、サタンの中で破壊されている人のこと。
人々は砕かれてしまっています。
失望の霊が襲って来て、自分を失敗者だと思わされています。
傲慢の霊が襲って来て、自分が見えなくなっています。
おしとつんぼの霊が入って来て、イエス様の話しを聞こえなくされています。
御言葉を聞いても、素通りしてしまっています。
貧しさの霊が、この世界に満ちています。
破壊の霊が色々な所を襲っています。
盲目の霊が蔓延しています。
しかし、色々な霊に向かって、イエス・キリストの御名によって命令します。
“おしとつんぼの霊、傲慢な霊、破壊の霊、攻撃するあらゆる悪霊どもよ、出て行け!去って行け!”
イエスの御名には力があります。
十字架の血潮に力あります。
箴言14:12
12、人の目にはまっすぐに見える道がある。
その道の終わりは死の道である。
“霊的識別力が必要”だということです。
箴言14:26、27
26、力強い信頼は主を恐れることにあり、
子どもたちの避けどころとなる。
27、主を恐れることは命の泉、
死のわなから逃れさせる。
アーメン
一人の牧師が、雪のふる道を歩いていると、赤ちゃんの声が聞こえました。
近づいて見ると、赤ちゃんは母親の服を何枚も着て泣いていました。
お母さんは裸で死んでいました。
その牧師は赤ちゃんを自分の子どもとして引き取り大事に育てました。
彼が20才になった時、牧師はそのことを言いました。
お母さんは自分の服を一枚一枚脱いで、あなたを守っていたことを話しました。
彼は、母親のお墓に一人で行きました。
同じように雪が降る日でした。
彼は、お墓にひざまずいて、自分の服を順番に脱いで、お墓にかけていきました。
お母さん、僕はお母さんがどんなに寒かったかを思ったよ。
お母さん、僕を生んでくえてありがとう。
お母さん、僕はいま、牧師先生の子どもとして生きているよ。
神様が僕を、牧師先生に会うようにしてくれて、僕は神様の働きをしていこうと決めたよ。
お母さんありがとう。
お母さんありがとう。
神様は同じように、自分を子を十字架に担がせて死んで行きました。
私の罪を背負ってです。
みなさん
神様を信じるとは、このお母さんのようなものです。自分は死んで、人々が
生きる者になった。
自分の中にある罪を赦すことが出来ない限り、消えるものではありません。
誰かがその代価を払ってくれたので、私たちは赦されたものになったことを、どうぞ知ってください。
自分は、罪の服を着ていました。今も同じです。
罪は死んでも消えることはありません。
まして、自分が自分の罪を赦すことはありえません。
天国と地獄があるからです。
祈ります。
愛する主よ。私たちが生きる中で、あなたがすべおさめておられることを感謝いたします。それゆえに、どのように生きることが最善であるかを御言葉によって知らされていることを感謝します。この一週間が聖霊様によって生きてきました。再び、聖霊様、これからの一週間をあなたの中で生きることが出来ますように導いてください。私の口が人々を励まし、助け、慰め、自分から発する言葉が命あふれた言葉になりますように、霊的識別力を備えられますように、切に祈ります。この教会にピアニストを与えてください。霊的賛美が生放送で礼拝出来ますことを願います。悪魔悪霊どもをイエスの御名で追い出すことが出来ますように、私の口からこの言葉を発し、多くの霊的束縛の中にある人々が回復し、神様のご愛に触れ、力強く歩めますように。切に祈ります。
この祈りを主イエス・キリストに御名で祝福し祈ります。 アーメン