私の名前と恩師六笠先生
私の名前は“石川愛人”(よしと)。この名前を付けてくれた両親に感謝している。
神様から愛され、神様を愛する。人を愛して、人から愛される人間になってほしいという意味を込めてつけられた名前だと両親から聞いていました。しかし、この名前ゆえに「いじめ」の対象となりました。
私は中学時代、聖学院で過ごした。すでにクリスチャンであり、牧師になることだけを考えていたのだが、ミッションスクールであるので、毎日礼拝がもたれ、礼拝は私の日課であった。聖書を全て暗記するほど読んだ。読めば読む程、私の罪が見えてきた。聖書が重大な書であるがゆえに、罪意識が積もっていった。学校でも教会でも、あたかも誠実な姿を見せていた。まさに二重人格の自分に苦しみはじめた。
学校では教師が、私の名前を見てクリスチャンネームと良く言われた。それはとても苦痛であった。周りの友人たちは教会と関係ない。だから余計目立ったのであった。
罪意識との格闘であった。
長い間、誰にも言えず、只自分の中にしまい、罪意識は増幅していった。
教会で六笠先生が中学生クラスの担当だった。先生は見た目はおばさん、しかし、その目は輝き、その歩みはひた向きだった、昼間は教文館で働き、夜は神学校で学ぶ、大変なところを通っておられた。私はその強い信仰を見て、先生に絶大なる信頼を覚えたのだった。ある日、私の罪意識を聞いてくれるだろうと思い、私の内なる自分の悩みを打ち明けた。
その時、“生きること、死ぬこと”を教えられた。
愛人君、イエス様のために生きなさい。イエス様の栄光が現れるために生きなさい。イエス様をいつも見上げなさい。イエス様はいつもあなたを見て喜んでいるのよ。だから、愛人君、輝きなさい。人生に問題が起きたなら、イエス様に助けを求めなさい。イエス様が守ってくださいます。希望を持って歩みなさい。あなたは牧師さんになるのよ。あなたは、神様から特別な祝福を受けてているのよ。牧師さんになるなんて、めったにいないのよ。あなたの言葉と行動によって多くの人が救われるのよ。分かる!あのね。パウロという人を知っているでしょう。この先生は、生きることはキリスト、私のすべてはキリスト、キリストだけ。キリストはすべてのすべてと言って、イエス様と共にで歩んだのよ。愛人君も同じよ。
忘れもしない、ピリピ1:21の言葉を教えてくれた。
私は、感極まって泣いた。
愛人君。あなたが牧師さんになったら、このことを語りなさい。と柔らかく、笑顔で、しかし真剣に語ってくださった。
先生は牧師を定年になり、お体を悪くされていることを伝え聞いた。横須賀からフェリーに乗り、千葉県のとある病院で入院していた。もう40年も会っていかなかったのが、先生は覚えて下さっていて、愛人君、いま牧師さんになっているの?と聞かれた。ハイと答えた瞬間に先生の目に光るものが落ちてきたのを印象深く思い出す。この六笠先生によって、私は立ち上がった。人間は出会いで決まると云うが、まさにそれを経験したのだった。
病院で、私は先生に按手させて頂いた。先生は私の按手の祈りを受け入れてくださった。長い時間の中で、私は牧師になり、ピリピ:20のことばを再び思いだした。
ピリピ1:21
わたしにとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。
2016年4月4日