父への思い

 

先日、私の父のことを話す機会があった。話しているうちに父の悪い面が思いだせなくなっていることの気付いたのだ。先生のお父さまは牧師だったのですかという質問だった。私は、父は声楽家だったのです。聖歌を編纂した音楽伝道者中田羽後先生の弟子でしたと答えた。しかしそれだけでは、生活が出来ないので、蛇の目ミシンの会社で働きながら、日曜になると要請を受けた教会での礼拝賛美の奉仕をしていた。父は日本基督教団の信徒であった。中田羽後牧師はホーリネスだったので、何故、ホーリネスの教会に行かなかったのかと、ふっと思うのだが、賛美に対する姿勢は実に頑固なまでに真面目であった。私の脳裏にあるのは、さまざまなクルセードに行き、父が白いガウンを着て、賛美をする姿を思いだすのだ。

 

父の愛唱歌のひとつにこの賛美がある。ボブ・ピアス師のクルセードで歌われた曲である。

1、救い主は待っておられるおむかえしなさい、

こころをさだめいますぐ、主にこたえなさい。

いままで主は待たれた、いまも主はあなたが心を戸を開くのを、待っておられる。

2、ひとあし主に近づくなら、受けてくださる。

こころの闇は消え去り、愛が湧き出る。

いままで主は待たれた、いまも主はあなたが心の戸を開くのを、待っておられる。

讃美歌第二編196番

 

 毎日、家に帰ると、聖書の勉強が待っていた。私が反抗して出席しないと、愛人欠席と書かれ、夕食を食べることが出来なかった。会社では、半分は聖書講義を作ることに時間を費やしていたことは社内でも有名だったらしい。石川は聖書の講義を作って、仕事は2番目。良く辞めさせられなかったと思うのだが、また、会社の忘年会や集まりの時は、私が連れていかれ、宴会には出ないで、聖書の勉強が始まるのだった。また、宣伝部の籍を置き、自由に日本中を回って、教会奉仕をすると言う徹底さであった

 

 その父が戦後しばらくの間、宮城県塩釜市に住居を構えた時期があって、私はその塩釜で生まれた。どういう理由かは分からないが、東京に住居を移動したのである。だから私は、東京育ちだった。

 

 父が塩釜に仕事に行き用事があったらしい、いつものように、礼拝賛美の奉仕をした時、聖歌521番「キリストにはかえらません」の賛美をした。丁度その時に宣教師であったリビングストン師ご夫妻がいたのであった。先生は、按手礼を受けて日本伝道に旅立つ時、この歌に送られて日本へ向かったそうだ。

 

主の不思議はここからはじまる。

 

 丁度その時、塩釜のとなりに利府村があり、利府村に森郷キャンプ場が出来ていたのだが、経営は大変であったようである。リビングストン夫妻は父が歌っている時に目を合わせて、この人だと決めたのだった。それ以来、リビングストン先生が東京板橋区の住まいに何回も訪れて来たのだった。是非、主事として森郷に来てほしいと言うのだった。最後には「マケドニヤに渡ってきて、私たちを助けてください。」(使徒16:9)と言うのだった。

 

父が書いた記事を見るとなるほどと思うのである。

 

「しかし、30年に余る世俗の生活にあって、このような聖なるわざに従うことに畏れを覚え、辞退しておりましたが、信仰を与えられて35年、その間、神の恩寵はいろいろな形で今日の私ども一家を支えてくださり、特に塩釜教会より受けた数々の思い出はすべてこれ神の恵みに結びついた強い絆となって今日に至ってきたのでありました。いま、斉藤牧師、リビングストン両先生の熱意有る招聘を受け、土の器にひとしい私にもいまだご用があることが示され、ここに献身の決意をするに至ったのであります。キャンプ委員会、塩釜教会、利府教会の親しき方々に迎えられ、一家をあげて「この身を神に受け入れられる、聖い、生ける供えものとして、聖俗合わせもって赴任いたします。」ということであった。

 

 それから、夏休みに森郷キャンプ場に行くことになった。仙台に着いて、田舎の電車を見て驚いた。私たちは、山手線などの大きな車両しか見ていなかったからである。

 

 山の生活は、私にとっては天国のような場所であった。静けさとは、まさに、し~~んという音を出すのだ。いまでも、静かなところに住みたいと思う。しかし、教会は人々が見やすい場所でなければならいから、その時代の静けさを思い出すだけだが、森郷は私にとっては心の故郷である。

 

 父は献身するという言葉を使った。不思議なものだと思うのだが、私も献身者である。父の心と私の心がすれ違い、お互いに傷を付けあった時代もあったが、兄弟で一番父似た息子であった。神の摂理、不思議な思いをふっとするのである。

 

 私の教会で父は、天に帰って行った。息がなくなっても、誰も気づかなかった。いつも姿勢のまま、死後硬直もなかった。まれにあるそうだが、苦しむこともなく、主のもとえ旅立ったのである。

 

私は、父を紹介するとき、「中田羽後牧師の弟子」いうことに、誇りに思うのである。

 

そのとき以来、「キリストにはかえられません」という曲は、我が家の歌となった。

1、キリストにはかえられません 世のたからも富も

このおかたが私に代わって死んだゆえです。

世の楽しみよ去れ、世のほまれよゆけ、

キリストにはかえられません。世の楽しみよ去れ、世のなにものも

2、キリストにはかえられません、有名な人になりことも

人のほめる言葉も、この心をひきません。

キリストのはかえられません、世の楽しみよされ、世のほまれよゆけ、

キリストにはかえられません。世のなにものも。

3、キリストにはかえられません、いかに美しいものも、

このおかたで、心の満たされてあるいまは。

キリストには変えられません、世の楽しみよ去れ、世のほまれよゆけ、

キリストには変えられません、世のなにものも。

                                               2016年3月23日