ヨハネ1:1~5
□ いつの時代にあっても、人間には霊のパンが必要です。霊のパンがないとすぐに弱ってしまうことを知らなくてはなりません。それは、体の中に主が備えた霊の扉が開かなければ人間はだめになり、だめになっていることも気が付かなくなると言うことです。全ての人々は真の神の言葉を聞かなければなりまません。「人間には神の言葉が必要」だと言うことなのです。
□ 世はますます汚れ、問題がだらけです。「親が生まれて間もない赤ちゃんがうるさいからと言って、暴力で殺してしまう」「人を騙す、騙される」「生活保護を支給されていて、実は、1億円のお金が発覚した」見たくない、聞きたくないことが山ほど、毎日報道されています。
□ 私は声を大にして言いたい!私たちは、心を養うことが必要です!それは、聖書の御言葉によらなければ解決出来ません。
□ 聖書を読むと、反キリストの出現が書かれてあります。インターネットで「私が再臨のキリスト」だと言っている人物がいます。終わりの時代になっていることは間違いありません。どんどん「荒廃」が進んでいます。「真実が歪められて」います。イエス様がご再臨される時は、無数の天使を連れてこの地上に来られます。「オリーブ山」から天に上った場所から、再び、オリーブ山に立ちます。
□ ゼカリヤ書14:4
4、その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂かれ、東西に延びる非常に大きな谷が出来る。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。
使徒1:9~11
9、こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなった。
10、イエスが上って行かれる時、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ白い衣を着た人が二人、彼らのそばに立っていた。
11、そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げているのですか。あなた方を離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなた方が見た時と同じ有様で、またおいでになります。
12、そこで、彼らはオリーブ山という山からエルサレムに帰った。
□ そういう渦中の中で、私たちクリスチャンはどのように生きれば良いのでしょうか。
クリスチャンの命は御言葉にあります。
私たちの希望は御言葉が実現する時です。
信じる者には、必ず、御言葉が実現されます。
御言葉が限り、私たちは癒されます。
御言葉がある限り、私たちは感謝出来ます。
御言葉がある限り、勝利出来ます。
□ 詩篇199 編は、詩篇の中で一番長い箇所です。この119編の中に様々な答えが隠れていることを伝へます。
詩篇119:1~3
1、 幸いなことよ。
全き道を歩む者。
主の教えによって歩む人々。
主のみ教えによって歩む人々。
2、 幸いなことよ。
主のさとしを守り、
心を尽くして主を尋ね求める人々。
3、 真に、彼らは不正を行わず、
主の道を歩む。
詩篇119:10
10、 私は、心を尽くしてあなたを尋ね求めています。
どうか私が、あなたの仰せから
迷い出ないようにして下さい。
詩篇119:71
71、苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。
私はそれであなたのおきてを学びました。
詩篇119:105
105、あなたの御言葉は、私の足の灯火、
私の光です。
詩篇109:169~172
169、私の叫びがみ前に近づきますように。主よ。
御言葉の通りに、私に悟りを与えて下さい。
170、私の切なる願いが御前に届きますように。
御言葉の通りに私を救い出して下さい。
171、私のくちびるに、
賛美が湧きあふれるようにして下さい。
あなたが私に、
みおきてを教えて下さるから。
172、私の舌は、あなたの御言葉を歌うようにして下さい。
□ 詩篇はダビデが歌う「神様の言葉」です。
どうか皆さん、自分の歩み方が、神様の御心にあったものであるように、私の人生が主の教えをしっかりと根付くように。そういう生き方をしていると確信出来るように、御言葉に照らし合わせて「人生の歩み」を確かなものにして行けるようにして下さい。
□ 良くわきまえるべきことは、自分は人間ありますから、間違いを犯し、失敗し、絶望し、悲しみ、苦しみの中でもなお、神様の言葉を握って離れないように自分を良く見つめながら歩んでいくのです。
□ 私たちは、「天国」まで通じる信仰を、確かな確信とさせるのは「御言葉」
以外にありません。私たちには希望があります。信じる者には天が開かれているからです。私たちは、人間として生まれた限り、神様があなたの生きる目的を持っています。頭が良い、悪いとか、顔が良いとか悪いとかではなく、あなたに、私に、目が見えなくても、神様はあなたを目的を持って、この地上に生きることを許されました。その目的が今は分からなくても、神様の時の中で分かります。元々有ったお方が、分からせて下さいます。
□ 御言葉によって、自分の生きる道がはっきりします。
神様の言葉は「揺るぐことはありません。」
□ 私は、朝早く、また、夜10時から12時まで毎日祈っています。そこで最初に言う言葉は「主よ、今日の一日を感謝申し上げます。主よ、私が罪を犯さないように守って下さい。聖霊様のご臨在の覆いの中に入れられていることを感謝申し上げます。そして、私が祈るべき方々の名前を上げて、聖霊様、あなたのご臨在と油を注いで下さい。そして、教会に多くの方々を運んで下さい。
日本にリバイバルを与えて下さい。と切に祈る時間を設けています。
第一エサロニケ5:16~18
には、いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
全てのことを感謝しなさい。
と書かれてあります。
□ あなたが主から、御言葉をもらったならば、そこにはあなたにとって深い意味があります。あなたの生涯の大事な御言葉かも知れません。
□ 詩篇119編は、詩篇の中で一番長いページです。そして、私たちにとって非常に大事なことが書かれていますから、困難に遭遇した時、苦しみの中にいる時、ここを開けて読んで下さい。必ず、答えがあります。
私のかかえている事情が悪くても、御言葉は嘘を付きません。御言葉は真実ですから、望みは御言葉の中にあります。御言葉は神様の言葉です。
ヨハネ1:1~5
1、 初めに、言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。
2、 この方は、初めに神とともにおられた。
3、 全てのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずに出来たもので、この方によらずに出来たものは一つのない。
4、 この方に命があった。この命は人に光であった。
5、 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
□ 人間の言葉は、あなたが生まれてからあなたの言葉が始まりました。
人は親を通して家族を通し学校で言葉を学びました。ですから、その人の年齢の分しかあなたの、歴史はありません。20歳の人は20年間の歴史しかありません。30歳、40歳も同じです。
神様の言葉は、万物が創造される以前から有りました。
「初めに」とは「元来」「元々」と言う意味です。
何もないけれど、「元々」神様の言葉はありました。
この言葉は「絶対」です。
この言葉は「永遠」です。
この言葉は「ころころと変わりません」。
□ 私たちの心はころころと変わります。生きている言葉も浅い。何げなく思ったことを言ってしまい、取り返しが出来ない程になることもあります。もともと軽率です。御言葉には深さがありますから、実行出来ない。人間の言葉程、中途半端で、変化にとんだ浅いものです。
神様は違います。神様の言葉は元々有りました。
ヨハネ1:1
1、 初めに言葉あった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。
言葉は神であった。凄い言葉ではありませんか。木や石ではない。元から天に存在する神様です。
6、 「この方に命があった。」⇒ 誰の命ですか。神様の命です。
□ 神様に「命」が有ったので、私たちも「命」の言葉を知り、命の言葉を話すことが出来ます。神様の言葉は元々有りましたから、私たちも命に満ちることが出来ます。万物は神様の言葉で創造されました。太陽も月も地球も星も全て神様の言葉で創造されました。
信じます。
□ 創世記1章に「神様は人間を神様の形に創造された」と書かれています。
良く知っておいて頂きたいことは、ここは「複数」で書かれています。
神様は一人ですが、複数なにです。すなわち、父なる神、子なる神、聖霊なる神様を表しています。
□ 私たちの霊は「御言葉によって保たれています。」
目には見えませんが、神様の言葉が生きています。
□ 人間の知恵では神様を知ることは出来ません。この命は光でありました。光は暗闇の中に一直線に入りますと。その瞬間、光は、暗闇を一瞬にして消し去るのです。輝いているからです。光は神様です。
□ 「世の中はどろどろ」してしまいました。悪魔悪霊どもが支配するこの地上の中で騙されて悪の方に向かって行っている。それが地獄だと知らないで、地獄へ向かっている。これはおかしいと思ってくれたならば。と切に思います。だから、伝道します。イエス様を伝えます。「暗闇は光に勝たなかった」のです。
ピリピ4:4~7
4、いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
5、あなた方の寛容が心を、全ての人に伝えなさい。主は近いのです。
6、何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をして捧げる祈りと願いによって、あなた方の願い事を神に知って頂きなさい。
7、そうすれば、人の全ての答えにまさる神の平安が、あなた方の心と思いをキリストイエスにあって守ってくれます。
□「寛容」が鍵の言葉です。
「寛容」とは、何でも良いが寛容ではありません。悪いことをしても良いではありません。悪は悪、善は善。人にその道ではないですよ。この方向に目を向けると良いですよ。方向を示して上げることを寛容と呼びます。
□「裁く心」を退けて下さい。
「裁く心」があると、人生は曲がります。方向を間違えます。
□「祈りなさい」は「主の祈り」です。
□「神様の栄光」が輝きますように。
神様の栄光は、感謝、感謝です。
「栄光は命」です。
この「栄光の命」を自分の生活の中に招いて、聖霊様のご臨在の中で素晴らしい人生を発見し、歩んでまいりましょう。
ヨハネ1:1~5
□ いつの時代にあっても、人間には霊のパンが必要です。霊のパンがないとすぐに弱ってしまうことを知らなくてはなりません。それは、体の中に主が備えた霊の扉が開かなければ人間はだめになり、だめになっていることも気が付かなくなると言うことです。全ての人々は真の神の言葉を聞かなければなりまません。「人間には神の言葉が必要」だと言うことなのです。
□ 世はますます汚れ、問題がだらけです。「親が生まれて間もない赤ちゃんがうるさいからと言って、暴力で殺してしまう」「人を騙す、騙される」「生活保護を支給されていて、実は、1億円のお金が発覚した」見たくない、聞きたくないことが山ほど、毎日報道されています。
□ 私は声を大にして言いたい!私たちは、心を養うことが必要です!それは、聖書の御言葉によらなければ解決出来ません。
□ 聖書を読むと、反キリストの出現が書かれてあります。インターネットで「私が再臨のキリスト」だと言っている人物がいます。終わりの時代になっていることは間違いありません。どんどん「荒廃」が進んでいます。「真実が歪められて」います。イエス様がご再臨される時は、無数の天使を連れてこの地上に来られます。「オリーブ山」から天に上った場所から、再び、オリーブ山に立ちます。
□ ゼカリヤ書14:4
4、その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂かれ、東西に延びる非常に大きな谷が出来る。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。
使徒1:9~11
9、こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなった。
10、イエスが上って行かれる時、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ白い衣を着た人が二人、彼らのそばに立っていた。
11、そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げているのですか。あなた方を離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなた方が見た時と同じ有様で、またおいでになります。
12、そこで、彼らはオリーブ山という山からエルサレムに帰った。
□ そういう渦中の中で、私たちクリスチャンはどのように生きれば良いのでしょうか。
クリスチャンの命は御言葉にあります。
私たちの希望は御言葉が実現する時です。
信じる者には、必ず、御言葉が実現されます。
御言葉が限り、私たちは癒されます。
御言葉がある限り、私たちは感謝出来ます。
御言葉がある限り、勝利出来ます。
□ 詩篇199 編は、詩篇の中で一番長い箇所です。この119編の中に様々な答えが隠れていることを伝へます。
詩篇119:1~3
1、 幸いなことよ。
全き道を歩む者。
主の教えによって歩む人々。
主のみ教えによって歩む人々。
2、 幸いなことよ。
主のさとしを守り、
心を尽くして主を尋ね求める人々。
3、 真に、彼らは不正を行わず、
主の道を歩む。
詩篇119:10
10、 私は、心を尽くしてあなたを尋ね求めています。
どうか私が、あなたの仰せから
迷い出ないようにして下さい。
詩篇119:71
71、苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。
私はそれであなたのおきてを学びました。
詩篇119:105
105、あなたの御言葉は、私の足の灯火、
私の光です。
詩篇109:169~172
169、私の叫びがみ前に近づきますように。主よ。
御言葉の通りに、私に悟りを与えて下さい。
170、私の切なる願いが御前に届きますように。
御言葉の通りに私を救い出して下さい。
171、私のくちびるに、
賛美が湧きあふれるようにして下さい。
あなたが私に、
みおきてを教えて下さるから。
172、私の舌は、あなたの御言葉を歌うようにして下さい。
□ 詩篇はダビデが歌う「神様の言葉」です。
どうか皆さん、自分の歩み方が、神様の御心にあったものであるように、私の人生が主の教えをしっかりと根付くように。そういう生き方をしていると確信出来るように、御言葉に照らし合わせて「人生の歩み」を確かなものにして行けるようにして下さい。
□ 良くわきまえるべきことは、自分は人間ありますから、間違いを犯し、失敗し、絶望し、悲しみ、苦しみの中でもなお、神様の言葉を握って離れないように自分を良く見つめながら歩んでいくのです。
□ 私たちは、「天国」まで通じる信仰を、確かな確信とさせるのは「御言葉」
以外にありません。私たちには希望があります。信じる者には天が開かれているからです。私たちは、人間として生まれた限り、神様があなたの生きる目的を持っています。頭が良い、悪いとか、顔が良いとか悪いとかではなく、あなたに、私に、目が見えなくても、神様はあなたを目的を持って、この地上に生きることを許されました。その目的が今は分からなくても、神様の時の中で分かります。元々有ったお方が、分からせて下さいます。
□ 御言葉によって、自分の生きる道がはっきりします。
神様の言葉は「揺るぐことはありません。」
□ 私は、朝早く、また、夜10時から12時まで毎日祈っています。そこで最初に言う言葉は「主よ、今日の一日を感謝申し上げます。主よ、私が罪を犯さないように守って下さい。聖霊様のご臨在の覆いの中に入れられていることを感謝申し上げます。そして、私が祈るべき方々の名前を上げて、聖霊様、あなたのご臨在と油を注いで下さい。そして、教会に多くの方々を運んで下さい。
日本にリバイバルを与えて下さい。と切に祈る時間を設けています。
第一エサロニケ5:16~18
には、いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
全てのことを感謝しなさい。
と書かれてあります。
□ あなたが主から、御言葉をもらったならば、そこにはあなたにとって深い意味があります。あなたの生涯の大事な御言葉かも知れません。
□ 詩篇119編は、詩篇の中で一番長いページです。そして、私たちにとって非常に大事なことが書かれていますから、困難に遭遇した時、苦しみの中にいる時、ここを開けて読んで下さい。必ず、答えがあります。
私のかかえている事情が悪くても、御言葉は嘘を付きません。御言葉は真実ですから、望みは御言葉の中にあります。御言葉は神様の言葉です。
ヨハネ1:1~5
1、 初めに、言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。
2、 この方は、初めに神とともにおられた。
3、 全てのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずに出来たもので、この方によらずに出来たものは一つのない。
4、 この方に命があった。この命は人に光であった。
5、 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
□ 人間の言葉は、あなたが生まれてからあなたの言葉が始まりました。
人は親を通して家族を通し学校で言葉を学びました。ですから、その人の年齢の分しかあなたの、歴史はありません。20歳の人は20年間の歴史しかありません。30歳、40歳も同じです。
神様の言葉は、万物が創造される以前から有りました。
「初めに」とは「元来」「元々」と言う意味です。
何もないけれど、「元々」神様の言葉はありました。
この言葉は「絶対」です。
この言葉は「永遠」です。
この言葉は「ころころと変わりません」。
□ 私たちの心はころころと変わります。生きている言葉も浅い。何げなく思ったことを言ってしまい、取り返しが出来ない程になることもあります。もともと軽率です。御言葉には深さがありますから、実行出来ない。人間の言葉程、中途半端で、変化にとんだ浅いものです。
神様は違います。神様の言葉は元々有りました。
ヨハネ1:1
1、 初めに言葉あった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。
言葉は神であった。凄い言葉ではありませんか。木や石ではない。元から天に存在する神様です。
6、 「この方に命があった。」⇒ 誰の命ですか。神様の命です。
□ 神様に「命」が有ったので、私たちも「命」の言葉を知り、命の言葉を話すことが出来ます。神様の言葉は元々有りましたから、私たちも命に満ちることが出来ます。万物は神様の言葉で創造されました。太陽も月も地球も星も全て神様の言葉で創造されました。
信じます。
□ 創世記1章に「神様は人間を神様の形に創造された」と書かれています。
良く知っておいて頂きたいことは、ここは「複数」で書かれています。
神様は一人ですが、複数なにです。すなわち、父なる神、子なる神、聖霊なる神様を表しています。
□ 私たちの霊は「御言葉によって保たれています。」
目には見えませんが、神様の言葉が生きています。
□ 人間の知恵では神様を知ることは出来ません。この命は光でありました。光は暗闇の中に一直線に入りますと。その瞬間、光は、暗闇を一瞬にして消し去るのです。輝いているからです。光は神様です。
□ 「世の中はどろどろ」してしまいました。悪魔悪霊どもが支配するこの地上の中で騙されて悪の方に向かって行っている。それが地獄だと知らないで、地獄へ向かっている。これはおかしいと思ってくれたならば。と切に思います。だから、伝道します。イエス様を伝えます。「暗闇は光に勝たなかった」のです。
ピリピ4:4~7
4、いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
5、あなた方の寛容が心を、全ての人に伝えなさい。主は近いのです。
6、何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をして捧げる祈りと願いによって、あなた方の願い事を神に知って頂きなさい。
7、そうすれば、人の全ての答えにまさる神の平安が、あなた方の心と思いをキリストイエスにあって守ってくれます。
□「寛容」が鍵の言葉です。
「寛容」とは、何でも良いが寛容ではありません。悪いことをしても良いではありません。悪は悪、善は善。人にその道ではないですよ。この方向に目を向けると良いですよ。方向を示して上げることを寛容と呼びます。
□「裁く心」を退けて下さい。
「裁く心」があると、人生は曲がります。方向を間違えます。
□「祈りなさい」は「主の祈り」です。
□「神様の栄光」が輝きますように。
神様の栄光は、感謝、感謝です。
「栄光は命」です。
この「栄光の命」を自分の生活の中に招いて、聖霊様のご臨在の中で素晴らしい人生を発見し、歩んでまいりましょう。