2017年4月23日 礼拝メッセージ
忍耐が練られた品性を生み出す ローマ書5章1~11
1、ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和をもっています。
2、またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
3、そればかりか、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
4、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知って
いるからです。
5、この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
6、私たちがまだ弱かった時、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んで
くださいました。
7、正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
8、しかし、私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
9、ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
10、もし、敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。
11、そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神に大いに喜んでいるのです。
ローマ書1章17節の御言葉。
17節、『義人は信仰によって生きる。』義と認められた私たちは、マルチン・ルターは、この御言葉が引き寄せられて宗教改革に導かれました。
“善行を積めば救われる”ではないんだ。信仰によるのだ。と当時すべてがカトリックであった世界に、まさにこの御言葉がルターをもってして、目覚めた!大きな勇気を得て、それが『宗教改革』となり、歴史を変えるメッセージをし、プロテスタントが生まれました。パウロが“義人は信仰によって生きる”と声高らかに書いたこの御言葉を、ルターは信仰によって解釈しました。『ルターはこの御言葉に生きるのだと、』ここから、世界は一変したのです。それが、『宗教改革』です。
今年は、マルチン・ルター宗教改革500周年の年で、世界中がルターを記念する聖会が企画されています。日本も同じでありまして、幾つもの教派が分かれて聖会を企画されています。私たち聖霊派は、アルゼンチンのアナコンディア師を講師にお招きをしています。
1章17節、「義人は信仰によって生きる。」とあります。
5:1
1、ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
ここで、「神との平和」とあります。それは 「私たちが、神様の愛によって生かされている。」という意味です。
神様がイエス・キリストをこの世に遣わしてくださった!!私たちのために死んでくださったという、この事実に圧倒されます。」
本当に、私のような罪深い者のために自らを捧げて下さったという、この人間への愛に圧倒されます。」
ここまでして、私たちを救うことを神様は計画されました。それは、神様が全宇宙を創造されたことによるという、「愛に圧倒されます。」
私たちは、神様の愛によって生きるように創造されました。しかし、悪魔によって罪がはいって来ましたが、なお、なお、神様は私たちを愛してくださり、神の子とされる「愛に圧倒されます。
神様の愛によって救われる。別な言葉で現わすなら 神から来る恵みです。
2節、またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで、大いに喜んでいます。
イザヤ60:1
1、起きよ。光を放て。
あなたの光が来て、
主の栄光があなたの上に輝いている。
みなさん一人一人は、例外なく、主の栄光が輝いているのですよ。そう語っています。
誰でも、イエス・キリストと出会う前の自分は、誇るべき何ものもないない者だったのですが、神様の愛によって、神様と出会うことが出来ました。驚くばかりの恵みが与えられました。
神様に感謝する人生を歩みたいと思います。
聖霊様に感謝する生き方を常に心にとめていたいと思います。
アメリカで、聖霊様に働きを顕著に始めた神の器がおられました。
その名は、キャサリン・クールマンです。
ベニー・ヒンという大きな器がアメリカでおこされましたが、彼も、キャサリン・クールマンと出会ってから人生が変わりました。
キャサリン・クールマンが、いやしの集会を開いていた時に、突然顔をおおって泣き出したそうです。
聖霊様を傷つけないでください!
お願いですから、聖霊様を悲しませないでください!
聖霊様は、この世の何にもまさって現実感をもって実在されるお方なのです!
聖霊様はあなた以上に現実のお方なのです!
彼女は、聖霊様とともに生きることをどこかで身に着けたのです。
私も、毎日祈る時間は昼間2時間、夜10時から2時間、ある時はもっと早く祈りを始めて、終わりももっと遅くなることもありますが、聖霊様が私を覆いてくださいます。具体的に臨まれます。
みなさんも祈る時、こういう言葉を出してほしいのです。
聖霊様!私はあなたをもっと知りたいのです。
私に触れてください。
私は小さな者ですが、聖霊様をもっと知りたいのです。
心から求めています。
必ず答えをいただけます!
必ずそうなります!
平安の世界です!
クリスチャンは、神様の奇跡に生きる者です!
クリスチャンは超自然的な力を受けて歩めます!
聖霊様の臨在の中を歩めます!
必ずです!
あなたは、聖霊様のご臨在によって、まったく新しい世界を生きることが出来ます!
平安の世界を味わうことが出来ます!
毎日がそうなります!
分かります!
え!!うそ!!
不思議~~~!
そう不思議なのです。
イエス様は言われましたね。
マタイ7:7~8
7、求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しさい。そうすれば見つかります。
叩きなさい。そうすれば開かれます。
8、誰であれ、求める者は受け。
捜す者は見つけ出し。叩く者には開かれます。
使徒2:22
22、神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざ、不思議なわざと、証しの奇跡を行われました。
毎日が感謝です!
毎日、感謝を捧げます!
毎日が“ハレルヤ”です!
3、4節です。
3、そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは患難が忍耐を生み出し、
4、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すことを知っているからです。
5、この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれるからです。
どの御言葉もそうですが、この御言葉は聖霊様の力なしに、成されることはありません。
努力しますが、人間は限界があります。
患難が忍耐を生むから。
忍耐が練れた品性生み出すから。
練られた品性が希望を生み出すから。
希望は失望に終わることはないから。
なぜなら。
私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちに注がれているからです。
“この御言葉の根本は聖霊様です”。
もしも、聖霊様によってと書かれていなければ、この言葉は「単なる道徳」にすぎません。人間の可能な範囲で考えます。
みなさん!良く知ってください。無限の超自然的な力の持ち主である聖霊様に助けを求めながら、この御言葉を私の人生を確かにしていくのです。
聖霊様とともに生きたいという者は、ただそのままの御言葉を信じるのです。
聖書は単純に信じる書です。
聖霊様は、単純になればなるほど、体感して分かるのです。
聖霊様が私に触れていることは、どんな学問をもってしても、分かりません。
イエス様が私の罪のために死んでくださった。
それは父なる神様に御子を死なせるという、神様の計画が、イエス様を私たちを救うために、この地上に遣わされました。
一人マリヤという女性の胎に聖霊が宿りました。マリヤの胎の中からイエス様は生まれました。
それは、死ぬために生まれました。
死ぬために生まれたのですよ。普通では考えられない生まれかたちです。
そして、イエス様は私の罪を背負って、私がまったく新しい人生を歩むことが出来るように道備えをしてくださいました。
みなさんは、救われた神の子です。
私たち牧師は、どの牧師も、神学校で学びます。
そして、伝道師にされ、牧師へとなっていきます。
神学校では、教会論、キリスト論、また聖書など様々を学びます。
聖書を間違いなく神様の言葉であることを学ぶのです。
どの授業も大変重要なものです。
また、教会が健全に歩むためであります。
私たちは、神学という学問が基礎となって教会は存在します。
正確な学問で救われるのです。
学門で救われる。とは、御言葉が正確に神様から来たことばであるかを、正しい解釈をもっているからです。
自己解釈が最も危険なのです。ものみの塔、統一教会、モルモン教、私の教会にも何回も来ましたよ。
牧師はその都度御言葉の間違いを指摘しますので、だんだんと聖書に近づくので、あそこはあぶないと来なくなりました。
どっちがあぶないのでしょうかですね。
正確な御言葉の解釈は正しいのですから、聞く者に感動を覚え、感激を心の中に覚えていくのです。
神様の愛があなたに臨み、自らの罪が赦されたことに気が付き。涙をぬぐいます。自分の人生が変えられていくことに、感謝を捧げる者にされていきます。
なぜなら、
信仰の根底には学問がありますが、そのさらに深いところで、聖霊様が働いて、救いの恵みを獲得出来るのです。
もう一方、学問は、「異端」が教会に入って来ないために、「異端を見抜く力」がなければなりません。ですから牧師は学びます。
Ⅱテモテ3:16
16、聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えを戒めと矯正と義の訓練とのためです。
Ⅱテモテ1:20,21
20、聖書の預言はみな、人の解釈を施してはならない、ということです。
21、なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、
「聖霊に動かされた人たちが、」神様からことばを語ったのです。
ここでも『聖霊に動かされた。』と書かれていますね。
次は、異端に対することばです。
Ⅱペテロ2:1
1、しかし、イスラエルの中には、偽預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、偽教師が現れるようになります。彼らは、滅びをもたらす、異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するよなことさえして、自分たちの身をすみやかな滅びを招いています。
今日の、第一番目 聖霊様は生きておられます。
患難さえも喜んで生きます。
この御言葉の内容は、聖霊様抜きにしてはありえません。
パウロのすごい御言葉です。
聖霊によってです。
聖霊様を抜きにして、信仰生活はあり得ません。
聖霊様に常にご一緒して歩む信仰生活です。
聖霊様に、私の人生を預ける歩みです。
こんな素晴らしい世界はありません。
聖霊様が私の歩みの一歩、一歩に、いつも、隣りにいてくださっています。
聖霊様は助け主です、ラインハルト・ボンケ師は、助け主とは、『あなたの隣りに歩いてくれている人』だと学びましたね。これは大切にいつも覚えておいてください。
イエス様ご自身は3年以上の間、弟子たちの側を歩かれ、最初の偉大なる助け主となられました。
そしてもう一人の方、『もう一人の助け主、聖霊様がペンテコステの日に来られました。」
それはあたかもイエス様を再び取り戻したようなものであり、弟子たちに福音の大宣教命令を実行に移し、以前のような弱々しい存在っではなく、聖霊様の力を受けて、病の人をいやし、悪霊にを追い出し、不思議を行うことが出来るようになりました。
ヨハネ14:16、17、20
16、私は父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためです。
17、その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることが出来ません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたと共に住み、あなたがたのうちにおられるからです。
20、しかし、助け主、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、私があなたがたに話したすべてのことが思い起こさせてくださいます。
第二番目、 では、聖霊をどのように受けるのでしょうか。
その条件は
第一に悔い改めです。
第二にイエスキリストにおける信仰です。
使徒2:36
36、そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
まず『悔い改める』と云う行為がクリスチャン生活には最も大切なことです。
祈る時、まず、聖霊様、あなたとお会いする時間になりました。今日は大きな悔い改めを持ってきました。と聖霊様に語ってください。
私は、「最初は賛美をします。」私は聖歌が大好きですから聖歌を歌います。
電気はすべて消していますから、暗記です。間違えても、自分で歌詞を創って歌たり、ハミングします。一曲二曲から聖霊様がすぐに来てくださいます。とても、とても感謝な、平安な世界ですよ。
次に賛美を流して、「今日の悔い改め」をします。ここをいい加減にしたならば臨在は消えます。怖いですよ。さ~と消える、怖いです。聖霊様が消える時ほど怖いことはありません。その時は、悔い改めが不充分だと云うことです。聖霊様は、私自身よりも、私をご存じです。を繰り返し、繰り返し、思い出すことに集中して、今日の悔い改めをしてください。聖霊様すみません、もう一度、悔い改めをします。すると、もう聖霊様は喜ばれてすぐに来てくださるのです。
次に、大切なひとり一人の名前を上げて、「とりなしの祈り」をします。
あとは、異言で祈ります。
異言で祈れば、聖霊様の賜物を持っているからよいのではありません。
大切なことは、『心砕かれて、聖霊様に支配されていることを喜ぶ人です。』
そういう毎日であるように祈ります。祈りの時間をもってください。京子先生は車を運転しながら、大きな声で祈るそうです。車は大きな声を出しても、近所迷惑にはなりません。京子先生を見ていると、祈っていますね。そうとしか思えない祈りの人です。時々、京子先生が主任牧師になって、私が副牧師のほうがいいねと話す時があります。京子先生は本当に純粋な人です。御言葉と教会のひとり一人の魂の配慮はすごいです。皆さんが一番良く知っていますね。
第三番目、復習です。御言葉に生きるということです。
患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、
練られた品性が希望を生み出し。
希望は失望に終わることはありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、
神の愛が私たちの心が注がれいているからです。
聖霊様にいつもお願いしてください。私は心からこの御言葉のように生きたいですから、聖霊様、よろしくお願いしてください。
祈ります。
父なる神様、今日もあなたを覚え、誉めたたえる聖日礼拝を守ることができましたことを感謝いたします。いつもいつも聖霊様、ご一緒してくださっていることを学びました。今日も明日も、私の隣りにいてください。毎日が感謝の日となるように、聖書を読みます。賛美をします。沢山の間違いはが起こると思いますが、悔い改めながら歩みます。イエス様、今日私のもとに来てください。心の底から願っています。今日教えられたメッセージを携え持って今日を、明日を生きます。毎日が新鮮であり、純粋な心を持ち続けられますように、信仰が新鮮であり、純粋でありますように、祈ります。
この祈りを主イエス・キリストの御名によって祝福して祈ります。 アーメン