2016年5月1日 礼拝メッセージ
愛は理論ではない Ⅰヨハネ3:16~24
16、キリストは、私たちのために自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちは愛が分かったのです。ですから、私たちは兄弟のためにいのちを捨てるべきです。
17、世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、憐みの心を閉ざすような者に、どうして神の愛が留まっているのでしょう。
18、子どもたちよ、私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実を持って愛そうではありませんか。
19、それによって、私たちは、自分が真理の属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。
20、たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。
21、愛する者たち。もし自分に心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることが出来、
22、また求めるものは何でも神からいただくことが出来ます。何故なら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれていることをここなっているからです。
23、神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。
24、神の命令を守る者は、神のうちにおり、神もまたその人のうちにおられます。神が私たちの内におられるということは、神が私たちに与えてくださった御霊によって知るのです。
私たちは、自分の性格を持っていて、その性格は各自違います。同じことはありません。しかし、全く同じことがあります。それは、御言葉を読み、御言葉の意味を知り、御言葉を自分の内側に聖霊様がおられることは同じです。
今日は「愛は理論ではない」というタイトルで御言葉を学びます。
Ⅰヨハネ3:16
16、キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
イエス・キリスト様が、私の罪のために贖いの十字架におかりになり、3日目によみがえられました。私が持っていた罪は、イエス様が身代わりになってくださった、このことを信じる者は新しいからだに変えられ、永遠のいのちを持つ者になった。“イエス・キリスト様が永遠のいのち”であると先週学びました。
永遠のいのちは、“全く新しいいのちの中で生きる”ことだと学びました。
“神様の愛はアガペーの愛”であることも知りました。
神様は、私たちが歩む人生の過程で、神様の恵みとい実を結ばないようにされることはされません。そのために、
只、“優先順位”をどこに置くのかを語っておられます。
クリスチャンも本筋から外れたことに忙しくしていると、神様の恵みの雨を差し止めていることを知りたいと思います。
礼拝で賛美があり、祈りがあり、メッセージがあり、献金があり、交わりがある。その中で何が不足しているのでしょうか。不足しています。大いに不足しています。“聖霊様の臨在”がないなら、私たちは日照りの中で水が枯れてしまった教会になります。基礎が崩れてしまいます。
イエス様をよみがえらせた聖霊様の臨在を失うなら、教会は末期的症状の病気になります。
みなさん良く聞いてください。
私たちの祈りが神様の心を動かす程になるためには、私たち一人ひとりが熱心に祈り、熱心に御言葉に接する必要があるのです。
17、世の富みを持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛が留まっているでしょうか。
18、子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。
言葉でどんな良いことをしても、実践しないなら、それは空しいだけです。
パウロは言います。口先で愛すると言っても、それは口だけ。言葉を語ることは簡単なことですが、責任があります。最も責任を負うのは牧師です。当たり前ですね。
みなさん良く知ってください。
私たちの人生は、たった一度だけです。過去に様々な出来事があって、傷ついた経験が沢山あったと思います。しかし、それを掘り起こしても、何の意味もありません。
みなさん 良く聞いてください。
私たちが、生まれたことを悔やむ人々がおられると思います。人生につまずいてしまい、将来を見ることに難しさを覚えている方々がおいでだと思います。しかし、神様はあなたに計画をもっておられます。このことを信仰をもって受けとめるなら、問題は解決します。必ず解決します。聖書は人間かかえる問題解決の聖なる本でのです。
エレミヤ29:11
11、私はあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。 ―主の御告げ。― それは災いではなくて、平安を与える計画であり、あなたがに将来と希望を与えるためのものだ。
12、あなたがたが私を呼び求めて歩き、私に祈るなら、私はあなたがたに聞こう。
13、もし、あなたがたが心を尽くして私を捜し求めるなら、私を見つけるだろう。
あなたが心を尽くして私を求め、捜すなら、あなたは私、神様を見つけるだろうと言っておられます。
人間には、それぞれ与えられた使命というもの、神様から託された務めというものがあります。
19、それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そしえ、神の御前に心を安らかにされるのです。
20たとい自分の心が責めてもです。何故なら、神は私たちを心よりは大きく、そして何もかもご存じだからです。
クリスチャンは、真理を知っています。
ヨハネ14:6
6、イエスは彼らに言われた。「私は道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してでなければ、誰ひとり父のみもとに来ることはありません。
イエス様は、私たちの生きる道をしめすお方です。また真理、いのちそのものです。
中国のクリスチャンは、約1億人ぐらいだろうと言われています。
中国の指導者の中に、ブラザー・ユンという神の器がいます。
彼は、警察公安に追いかけられていました。
彼は、逃げながら伝道する伝道者というようになっていきました。
彼は、投獄されては、電気棒で何回も殴られ、その迫害は半端ではsありませんでした。
ある日、電気棒で殴られ、足の歩くことが出来ない程に重症を負っていた時、ユンの先生であるスー・ヨンッェと云う指導者と共に投獄されていました。
ある日、スー先生から、「逃げろ!」と言う言葉ありました。それはスー先生が聖霊様から言われた言葉です。その時、彼は歩けない状態になっていました。骨折して、また電気棒で殴られ続けて、ユンの足はまったくつかいものにならない状態だったのです。どうしてそんなことが出来るでしょうか。しかし、主が成すことには不可能はありません。扉は鉄の扉で、こちら側で開けることが出来ないようになっていました。しかし、スー先生は「ユン逃げろ」と言うのです、彼は、トイレット・ペーパーに御言葉を書いた帯びとして、彼は足を引きずって刑務所から逃げるのです。ここで神様の不思議がはじまります。看守がいても“行け!ペテロの神がお前の神だ”と語りかけました。監獄の三階から、中庭に到着するまで、看守はユンがそこを歩いているのに見えない。こうユンは書語っています。“主はどうにかしてその看守の目を見えなくしたようだった。看守は私をまっすぐ見ていたのだが、その目は私の存在を全く認識していなかった”不思議にも最も警戒が厳しいと鉄の門の一部が空いいて、どうして開かない門が開いていたのか分からない。見つかれば銃弾で飛んで来るはずだが、それがない中で、彼は外へ出ました。するとタクシーが彼の横に止まりました。運転手がどこまで行くのですかと言われて、事務所に行くから速いで運転してほしいと語りました。クリスチャン家族がいる家を指定し、出来るだけで急いでくれと運転手に言い。彼の心臓はドキドキしていました。これら全ての出来事は。数分のうちに起こった。まるで、夢を見ているのかと思えました。クリスチャンの家に着きました。タクシー代を借りるためアパートの3階まで上がりました。この家族は「教会みんなで一週間以上も、あなたとあなたの仲間たちのために断食して祈っていた。聖霊様が、家族の母に「私はユンを釈放する、最初にユンが立ち寄るところは、お前の家だと言われていました。両親は私たちに、あなたが来ることを言い。秘密の隠れ家を用意していました。また、食べ物と服も用意されていたのです。その隠れ場に自転車で行った時、はじめて、その時、砕かれていた両足がていやされていることに気がつきました。警察はユンの脱獄のために道路を封鎖をしていたので、主要道路を避けて小さな道を迂回しながら自転車をこいでいました。隠れ場に着くと天が開いて激しい雨が降ってきました。大きな嵐が起きました。朝なのに空は真っ暗になりました。刑務所はユンが脱獄したことを知りました。警察犬が動員されましたが、嵐の雨で彼のにおいは消えていたので役にたちません。テレビでも放送されて、公安警察、公安局、人民解放軍の兵士が動員され、自動車は一台一台調べられ、家を一軒一軒、空港、列車の駅を封鎖されていましたが、妻のデリンは、その日、夫が自由になった幻を見ました。デリンは夫に会うためにバスに乗りました。信じられない、本当に信じられない出来事でした。地下の教会で夫と会うことが出来ました。そういう出来事がありました。
「ユン逃げろ」と言ったスー先生と同じ監獄にいた人々が、高い窓にはい上がって、ユンが逃げたことをその目で確認して、聖霊様のみわざに感謝しました。
私が所属する東京福音リバイバル聖会実行委員会は、ブラザー・ユンを講師として来て頂きました。彼とスー先生の2人を招待しました。その時、ユンの妻であるデリンも一緒に来られたことは知りませんでした。デリンさんは講壇に立ちました。会場はどよめいで驚きました。
ユンは言われます。
私は目の前の状況にも関わらず、主が何かをしなさいと言われた時には、議論したり、理性を働かせる時間が全くないことを学んでいた。今回のように、神が行動に移せと言われたと確信した時には、盲目的に従うことが求められる。神に従わないことは、自分が神より賢いことを意味し、神よりもうまく人生をやりくりできると思うことになる。
へブル12:13
13、また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。足なえのの人も関節を外すことがないため、いやむしろ、いやされるためです。
彼は著書の「天国の人」に中で、「中国で私たちが見た最も大きな奇跡は、いやしや他のものではなく、福音によって変えられた人生である。私たちはしるしと不思議のわざに従うように召し出されたのではなく、福音が説教された時に、しるしや不思議の方が私たちの後ろについてきたのです。しるしや不思議のわざに目を捕らわれてはならない。イエスを見続けるのだ。中国では、どの家の教会の牧師も、福音のためにすぐにいのちを投げ出せる。このように生きる時、神が恵みによって偉大なことを成されることを見れる。
御言葉が次々と出てきました。
エレミヤ15:20~21
20、私はあなたを、この民に対し、
堅固な青銅の城壁とする。
彼らは、あなたと戦っても、勝てない。
私はあなたとともにいて、
あなたを救い、あなたを助け出すからだ。
ユンはフィンランで説教をしました。
私は人々に向かってイエスの十字架の下にひざまずくように命じた。すると、人々は泣いたのだ。主が本当に人々に動かされるところでは、涙が流れる。犠牲が伴わない利己的な肉体に神の祝福が流れることはない。イエスの十字架に、私たちが行うすべての中心になければならない。
1400人収容の会場は超満員となりました。
私はスー先生に按手を頂きました。その時、聖霊様の力が私の頭の天辺から電気が走りました。聖霊様の力でした。スー先生は聖霊に満たされていました。
ユンも講壇に上る一人ひとりに按手をしていました。
イエス様は、私をとおしてでなければ。誰一人、父もとへはいけません。
Ⅰヨハネ3:21~23
21、また愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、
22、また求めるものは何でも神からいただくことが出来ます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。
23、神の命令とは、私たちが、御子イエス・キリストの御名を信じ、キリスト命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。
神様は良いお方です。
神様は、あなたを愛しています。
宣言します!
私には未来がある!
私には生きる目的がある!
私の過去は過ぎ去った!
私は平和を創り出す者だ!
みなさんは、「霊の人となるために生まれて来ました。」
私たちは、神様の命令を守るならば祝福が待っています。
私たちは御言葉に生きる根拠を見つけ出せないなら、その歩む道筋、人生の旅は不安定になります。
御言葉を読みましょう。
御言葉を読むと楽しくなります。
人生を学ぶ旅ですよ。
中国の家の教会はクリスチャンが次々と起こされて、聖書が足りません。
箴言13:2
2、自分の口を見張る者は自分のいのちを守り、
くちびるを大きく開く者には滅びが来る。
私の口は、愛を語ります。
神様の愛を語ります。
愛を語り続ける者には、神様は特別なものを分けてくださいます。
それは、“油”です
“油ですよ”
“油が注がれるなら、もう人生は喜びに変えられ続けます”
そういう人生を歩みたいと思いません。
生きることも死ぬことも、神様の恵みの手の上にあります。
生きることの中で、神様の愛を受け取り、
神様の愛によって人生を生きる素晴らしさを味わうと、
もう、至高の喜び、感謝に変えられます“
ですから、“愛は理論ではないのです”
ここまで愛したから、ここまでやったから、どうだ。という計算の世界ではありません。愛は無限です。神様は無限なお方です。イエス様も同じです。聖霊様も愛のあるところに向かいます。
聖霊様をいつも呼び、感謝する世界は素晴らしいと云う言葉を超えて、何と言って良いか言葉が見つけられません。
“イエス様は日本に滞在されています。
イエス様が私たちの教会を訪ねてほしいと切実に求めています“
私たちの教会はそういうことを求める教会です。
私は、こう思うとわくわくしますよ。
私はこの一週間、嬉しくて、楽しくて、この説教を準備しました。
イザヤ61:1~3
1、神である主の霊が、私の上にある。
主は私に油を注ぎ、
貧しい者に良い知らせを伝え、
心の傷ついた者をいやすために、
私を遣わされた。
捕らわれ人に解放を、囚人には釈放を告げ、
2、主の恵みの年と、我々の神の復讐の日を告げ、
すべての悲しみを慰め、
3、シオンの悲しむ者たちに、
灰の代わりに頭の飾りを、
悲しみの代わりに喜びの油を、
うれいの心の代わりに賛美の外套を
着けさせるためである。
彼らは、義の樫の木、
栄光を現す主の植木と呼ばれよう。
すごい御言葉です。
ハレルヤですよ。
みなさんは、この地における「口」です。
この地上において、今、あなたは「神の口」です。
みなさんは、生ける神の油注ぎを授かっている「神の口」です。
みなさんの「口」は力があります。
みなさんの「口」は預言的言葉を語る「口」です。
聖霊様によって生きると、過去は置いていくことが出来ます。
聖霊様によって生きると、あなたは全く新しい人に生まれ変わります。
“今日は恵みの日”です。
信仰は“愛にはじまり、愛で終わります”
“愛は理論ではありません”
“愛は神様のことば”です。
「言葉」ではなく、「ことば」です。
「言葉」は人間の言葉。「ことば」は「神様のことば」です。
祈ります。
愛する父なる神様、今週の旅路を終えて、再び教会に集められ、主を礼拝することが出来たことを、只、感謝いたします。私たちは今日、聖霊様の不思議の中で生きている中国の伝道者、ブラザー・ユン師の信じがたい、驚くべき出来事を知ることが出来ました。神様に不可能はないことを改めて心を主に向け、感謝いたします。私たちの教会がこれから歩む方向は、しるしと不思議と奇跡の教会になることを示されていますが、そのためには、ひとりのたましいが救われることです。イエス様の十字架の贖いを受け入れ、永遠のいのちを勝ち取ることです。このことが全てにおける一番目です。主よ、教会のおひとりおひとりの上に、あなたの油が注がれ、この一週間の旅路を守ってください。教会が成長しますように、新しいたましいが起こされますように、祈ります。何よりの聖霊様のご臨在を求めます。この終わりの時代にあって、世界は動乱しています。自然災害が次々と起こっています。この終わりに時代、イエス様がア世界中に現れています。このことを感謝いたします。誠実な心、謙遜な心、何よりも、神様の愛を伝える器に創り変えてくださいますように。
この祈りを主イエス・キリストの御名によって祝福して祈ります。 アーメン
たつた今「天国の人」を読み終わりました。主人と奪い合うようにして❤❤二人ともクリスチャンで教会生活を送っていますが、4・5日前迄知らなかった。興奮しています。現況はと調べ貴方の教会へ💕びっくり私達福岡県の宗像ベテルクリスチャンセンターに行っています。夜中12時です。聖霊さま感謝します❤ハレルヤ
初めてメールいたします。福岡県からです。「天国の人」を読みました。こんな神さまに忠実な方が、ただただ涙😭です。元気頂きました。日本にもリバイバルを❤❤