申命記1:19~38
■申命記はモーセが死の直前に語り、新しい世代に対して語った長いメッセージです。
■モーセは新しい世代に、何故古い人たちが約束の地に入れなかったのか。沢山の言葉を語ることよりも、次の世代が親たちから教訓を学び、同じ失敗をしないように願いました。
■あなたたちの両親は、神に選ばれた民であった。しかし、ビジョンを失い、神の御心から外れ、不平不満を言い、反逆し、神を悲しませたことをモーセは若い世代の民に語りました。
■モーセが語った次の世代は、私たちの世代の世代として理解する姿勢が必要です。御言葉は常に今日の自分を指しているからです。昔話しではありません。
■ Ⅰコリント10:11
■11、これらのことが彼らに起こったのは、戒めためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。
■神の戒めを聞かないなら、私たちも「荒野」へと向かうでしょう。
■ ヘブル4:11
11、ですから、私たちは、この安息に入ように力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落伍する者が一人もいないようにしようではありませんか。
■ 申命記1:19
19、私たちの神、主が、私たちに命じられたとおりに、私たちはホレブを旅立ち、あなた方が見た、あの大きな恐ろしい荒野を、エモリ人の山地への道をとって進み、カデシュ・バルネアまで来た。
■ここでカデシュ・バルネアは、へブル語で ⇒ 放浪者、荒野をさ迷う者たちの意味。すなわち、カデシュ・バルネアは「不可能な状況に直面する場所」をも意味しています。
■多くのクリスチャンたちがこの地にいます。人格ある神 ⇒ 聖霊様を認めず、文明が古い使徒の時代にはあったけれど、今日の現代社会、文明の優れた時代は、聖霊様はいない。どの教会でも「父、御子、御霊」と言いますが、聖霊様を人格とは認めず、観念として見るのです。ここが大きな間違え。私たちの地もカデシュ・バルメアと同じになります。
■悪魔悪霊どもは「嘘をささやくのです」⇒ 困難、危機な状況の中にはいると「失敗するぞ、信じてはいけない」とあなたにささやきます。
■人生を歩み、人生の方向を決める時、「この道だ!」と分かる時があります。つまり、歩む道を選択し、決断をする時があります。ここをしっかりと持って歩む人生は、神様の恵みを受け取り、主は素晴らしいお方であることが良く分かります。
■昨日の土曜、教会の中嶋兄弟が先生!先生!と来ました。先生、僕、イエス様と会った。興奮して言いました。彼は、交通事故でぶつかられたのです。相手は分からず、当て逃げされてから、もう2年以上いつも腰が痛かったのです。顔は光っていてまばゆく、神の毛だけ見えて、白い衣を来て、彼の腰に触れて、何回も腰に触れて、彼は、あなたは誰ですかと聞くと、私はイエスだ。と答えられて、姿が見えなくなったそうです。二段ベットから降りる時は痛いのに、その時から痛みは消えたと、彼は、私たちに話してくれました。
■このページを読んでいるみなさん。この事実を信じますか?この出来事こそ信仰を持って聞くべきです。イエス様は生きて特別な者に特別な方法で特別に臨んで下さるということです。信仰は体験がないと頭だけの信仰です。人間の頭はたいしたことはありません。神様の超自然的働きを信じる者が確かに信仰者として神様から認められるのです。私たちが信じる唯一の神を認め、信じます。
■イスラエルは12部族から1名ずつ拙攻を出すことにして、カナンの地の調査に向かわせました。しかし、良い知らせも彼らは受け入れませんでした。
■ 出エジプト17:7
7、それで、彼はそのところをマサ、またはメリバと名づけた。それは、イスラエル人が争ったからである。また彼らが、「主は私たちの中におられないのか」と言って、主を心みた。
■私たちは、争ってはいけません。
争うことは、争う相手も、自分も、また、それを聞いた人も悪い影響を与えてしまいます。
■人生は生まれた時から死ぬまでを意味しています。
人生は素晴らしいものにしたいと目標を立ててもその願い通りにはなるわけではありません。自分が選択するかによって人生は大きく変わります。そして、選択したならば、責任が伴います。この責任をあいまいにすると、とんでもないことになります。
■イスラエルの民は信仰を守るという責任を放棄したがゆえに、神はカナンの地へ行くことをさせなかった。彼らは、偶像礼拝をしてしまったのです。その結果、神は怒ったのです。
■ マタイ13:58
58、そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇跡はなさなかった。
■新約時代のほうが、旧約時代より不信仰は大きいのです。
■神様は私たちに聖霊様の賜物を与えて下さいました。今の時代、私たち自身が「神の宮」となり、私たちはいつでも礼拝出来ます。
■神様はあなたに全てをご存知です。疑わず、信じ続けるなら、皆さんの家に祝福を与えられます。
■私たちは人生の価値を守ることに誠実でありましょう。