マタイ13:1~9

■旧約聖書はその最初から、名前が預言的意味でを持っていました。アブラハムは「国民の父」という意味です。ヤベツは「悲しみ」という意味です。イエス・キリストは「メシア」「インマヌエル」「救い主」です。シモンは感情的に不安定な漁師でしたが、イエス様は、「ケパ」または「ペテロ」で「岩という意味です。皆さんも、また皆さんの親も、名前を付けるときにいろいろ考えたことでしょう。
■ ローマ4:17
17、このことは、彼が信じた神、すなわち「死者を生かし、無いものを有るものように、お呼びになる方の御前でそうなのです。
18、彼はえない時に望みを抱いて信じました。それは「あなたの子孫はこのようになる。」と言われた通りに、彼があらゆる国々の父となるためでした。
■この御言葉はアブラハムがどのように神様の言葉に従順し、神様がアブラハムに成したみわざを指しています。
■聖書に書かれてある全ての器はみな最初があり、神様の順番で変えられていきました。私たちも同じです。神様はあなたを変えます。人生とは、神様の取り扱いの過程です。そうして、私たちは、神様と個人的にも人格関係へと成長していきます。
■人は即一瞬で変化することはありません。様々な過去を抱え、イエス様との出会いがあって少しずつ変えられていきます。
■マタイ:13:1~9
■ある種は道端に落ち、またある種は土の薄い岩地に落ち、ある種はいばらの生えている地に落ちた。そして、良い土地に落ちた種は、100倍、60倍、30倍の実を結びました。
■同じ種です。同じ種が、環境の違う地に落ちることによって、どの種も実を結ぶはずだったのに、鳥に食べられたり、枯れてしまったり、良い実として育つことが出来ませんでした。
■私たちの生き方も、神様が良い地を用意してくださっていますが、それに気づかないで、枯れてしまう人生になることは本当に悲しいことです。
■イエス様がこのたとえ話をしたのには理由がありました。「種とは御言葉」です。御言葉が良い地に落ちれば「撒いた種は、土地の中で命が満ち、神の国の中で霊的喜びを生きることが出来ます」
■ マタイ13:19~23
 19、御国の言葉を聞いて悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道端に撒かれるとは、このような人です。
 20、岩地に蒔かれるとは、御言葉を聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
 21、しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間はそうするだけで、御言葉のために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
 22、また、いばらの中に蒔かれるとは、御言葉に聞くが、この世の心づかいと惑わしとが御言葉を塞ぐため、実を結ばない人のことです。
 23、ところが、良い地に蒔かれるとは、御言葉を聞いてそれを悟る人のことで、その人は本当に実を結び、ある者は百倍、ある者は六十倍、ある者は三十倍の 実を結びます。
■悪魔悪霊が良い土地に落ちて成長するはずの種を取り去ってしまうことがしばしばあります。悪魔悪霊は皆さん一人一人の弱点を良く知っていますから、そこへ攻撃を加えてくるからです。
■ マタイ4:1~10
■イエス様は公生涯に入る時に、聖霊様に導かれて、40日40夜断食をしました。断食が終わる時を見計らって、サタンはイエス様に言いました。あなたはお腹が空いている、この石をパンにしてみろ、と。
するとイエス様は「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。退けました。すると、悪魔は聖なる都に連れて行き、神殿の頂きに立たせここら落ちてみよ、御使いが助けるだろう。イエス様はあなたの神である主を試みてはならない。」と書いてある。すると、悪魔は高い山に連れて行き、世の全てのものを見せ、「私にひれ伏して私を拝むなら、これを全部上げよう」イエス様は強く「引き下がれサタン。あなたの神である主を拝み、主だけに仕えよ」と書いてある。このような霊的戦いが書かれています。
■このイエス様と悪魔との戦いは今も続いています。私たちは良く御言葉に聞いて、悪魔から攻撃する前に、私たちが「イエスも名を持って攻撃するのです。
■聖霊様感謝します。聖霊様、あなたを心の中にお迎えします。どうぞ、今日も聖霊様のご臨在の中で生きられますように。今日の教会の礼拝であなたをお迎えします。祝福して下さい。これが私たちの武器です。そして成長が成熟していきます。成熟とは、イエス様の似姿になっていくことです。
■ Ⅱコリント3:17~18
 18、 主は御霊です。そして、主に御霊のあるところには、自由があります。
 18、私たちはみな、顔の覆いを取り除けられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じ形に姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
■神の国では、私たちは大人として誕生していません。子供として誕生し、神様の愛の中で成長していきます。
■私たちは「神様の愛を現す人となることです。」
■エレミヤ18:1~6
■ここでは、「神様を陶器師」として説明しています。陶器師は粘土を、ろくろを回して、作品を作ります。私は毎日2時間半歩いています。歩くと色々な店があることに気づきますが、先日、陶器を売っているお店を見つけました。私の次男が長い間、その陶器師だったので、しばし、眺めていました。
神様は忙しく一人一人の信仰がねじれないように、ろくろをまわしておられています。
■私たちは、「神様の最高傑作品」です。最高傑作品はすぐには出来ません。そこまでになる多くの時間が必要です。
■私が、若い時代、頭が固い牧師でした。神様がどれ程忍耐してくださっていただろうと思います。家内にも、子供にも苦労をかけました。聖霊様は、私を打ち砕いて、打ち砕いて、聖霊様も大変だったと思います。
■皆さんが、人の歩みにおいて、今どのような段階を通されているか、聖霊様は全てを取り仕切っています。聖霊様を知ることの中で人の歩みは変化していくのです。
■自分は最高と考えるなら、神様の価値観からは、一番下です。自分を最高と思う者は、高慢も霊に縛られています。
■私は、十字架のイエス様によって、勝利者と宣言するのです。
■ 箴言8:34~36
 34、幸いのことよ。
   日々私の戸口のかたわら見張り、
   私の戸口の柱わきで聞く人は、
 35、なぜなら、私を見出す者は、
   命を見出し、
   主から恵みを頂くからだ、
 36、私を見失う者は自分自身をそこない、
   私を憎む者はみな、死を愛する。
■主があえて試練を与える時があります。試練は成熟へと導きます。
■誰もみな試練を通されてきました。そうではありませんか。主にある試練は、命も冠を約束されているのです。試練に合っているとき、聖霊様が今までより強くあなたに働いています。その聖霊様の働きを見出す者はなんと幸いなことでしょう。