マタイ13:24~30

□ 人生の走るべき行程という道筋があります。神様が備えた道を走り抜くならば、みなさんの人生は“成功した人生”と言えます。
□ 成功するとは、物質的にも霊的にも豊かな刈り取りの実を受け取ります。
□ 自分は自分のために生きると言う「自己中心」は罪です。自分の心を満足   させることは出来ません。どこまでも不平不満が残り、人を裁き、自分を正当化していきます。
□ 敵、悪魔悪霊どもは「自分の人生は最高だと「錯覚」させて、最後は破滅するのです。
□ 詩篇97:10~12
10、主を愛する者たちよ。悪を憎め
主は聖徒たちの祈りを守り
悪者どもの手から、彼らは救い出された。
11、光は、正しい者のために、種のように撒かれている。
喜びは、心の直ぐな人のために。
12、正しい者たち。主にあって喜べ。
その聖なる御名に感謝せよ。
□ あなたがサタンの策略に無知であるなら、あなたの人生は破壊されます。敵の攻める方法は「じわじわ」と首を絞めていきます。そして、神様の存在が薄れ、消え、鈍感になり、敵の奴隷になっていくのです。
□ イエス様は私たち人間の罪を贖うために、天から遣わされました。それは、人間の罪を身代わりとなって十字架に掛かり、死なれました。その十字架への」道は想像を絶するものでした。映画「パッション」を見ていない方は是非見てほしいと思います。それほどの人間の罪は大きいのですが、イエス様によって贖われたことを信じる者は救いの恵みに預かることを良く知って下さい。
□ 私たち人間は「罪意識」がないと、罪は罪を生んでいきます。
□ パウロは自分の人生観を持っていました。⇒ ローマ14:7~9
7、私たちの中で誰ひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
8、もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
9、キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。

□ 自分は何者であるかが分からないとふこうな出来事が次々と襲って来ます。
□ パウロは、自分を「義の奴隷」「神の奴隷」と言われました。
ローマ6:17~18、22~23
17、神に感謝すべきことは、あなた方は、もとは罪の奴隷でした。伝えれれた教えの基準から心から服従し、
18、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。
22、しかし今は、罪から解放されて、「神の奴隷」となり、清潔に至る実を受けたのです。
23、罪からくる報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠の命です。
□ パウロの生涯は、奴隷よりももっと悲惨なものでした。奴隷でもこれほどの苦労はしないだろうと思える人生を歩みました。
□ Ⅱコリント11:24~27
24、彼らはキリストの僕ですが、私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の苦労は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、ムチ打たれたことは数え切れず、死に直面したことはしばしばでした。
25、ユダヤ人から39のむちを打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、会場を漂ったことがありました。
26、幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受けた難、年の難、荒野の難、海上の難、偽兄弟に会い、
27、労し苦しみ、度々眠れぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、裸でいたこともありました。
□ ステパノはクリスチャンの最初の殉教者です。ステパノが殺される時に言った言葉は、イエス様と同じでした。⇒ イエス様は言われました。「彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか自分で分からないのです。⇒ ルカ23:34 ⇒ そして、ひざまずいて、大声で叫んだ「主よこの罪を彼らに負わせないで下さい。こう言って眠りについた。⇒使徒7:60
□ パウロはステパノの姿を見て思ったのです。⇒ 自分にはないものが、彼にはある。パウロは悔しかったことでしょう。
□ ローマ6:17~18、22~23
□ パウロは自分を「義の奴隷」「神の奴隷」だと言っています。
□ パウロの生涯は、奴隷よりももっと悲惨なものでした。奴隷よりももっと悲惨なものでした。奴隷でもこれほど苦労はしないだろうと思える人生を歩みました。
□ パウロの人生は「世のちり、ゴミ」のようにされたものでした。
□ 誰が好んで、自分を「奴隷」などと言うものがいるのでしょうか。⇒ ところが、彼は自分が「キリストの奴隷」であることを喜んでいました。
□ 奴隷には主人がいるのです。主人が誰かが問題なのです。それまで、パウロは「律法の奴隷でした。それが逆転した、主の奴隷になりました。
□ 本当にイエス様にある時、私たちは自由人です。本当の自由は罪からの縛りから解放された人です。すなわち、悔い改めが出来るからです。悔い改めるということは、相手がいるわけです。それが、イエス・キリストです。
□ 神様は愛なるお方です。外見をいくら着飾ってもそれは虚しいものです。
□ クリスチャンにとって「神の奴隷」は「最高の光栄、栄誉です」
□人と比べて、妬んだり、憎んだり、自分のためだけに生きているならば、
人間は本当に不幸です。一生涯満足することはないでしょう。
□ イエス・キリストにあって生きることは、隣人のために生きることです。
□ ユーチューブ「本当にある天国と地獄の証」を開いて下さい。アンジェリカという幼い女性がイエス様から天に引き上げられて、地獄と天国を見せられ、再び帰ってきた証しが日本語に吹き込まれています。私たちの日本リバイバル連盟のリビング・オーター・チャーチが訳しました。