赦しといやし

 

 私たちは、聖書に書かれている御言葉を純粋に受け取り、毎日の生活に反映させながら生きるなら、人生の走るべき行程という道筋の中で、神様が備えた道を走り抜き、私たちの人生は成功したと理解していいでしょう。成功とは物質的にも霊的にも豊かな刈取りに成功したと言って良いだろう

 

 私はしるしと不思議と奇跡があると限りなく確信を信じて歩んでいる者である。

 

 アルゼンチンの国は、1953年、トミー・ヒックスによって、第一次リバイバルが起こり、1993年頃から、カルロス・アナコンディアによって第二次リバイバルが起き、1975年にクラウディオ・フレーソンが起こされ、アルゼンチン全土でリバイバルは継続されていると聞いている。このアナコンディア師とフレーソン師は現在も共に歩みながら、リバイバルは続いている。アナコンディア師の伝道集会は、大きなスタジアムを使われてと聞き及んでいる。冬は大きな室内で伝道集会となる。アナコンディア師が書いた、「聖霊の愛と力」と云う本が出版されている。私は、偉大な伝道者の本を改めて読みし。アナコンディア師が“いやし”について語っている言葉に私は釘付けになって読んだ。この本は何回も読んでいるが、読む度に、新しい発見をする不思議な本である。

 

以下、師の本の一文を書いて紹介したい。

 

『多くの病気に悩み、絶望し、劣等感をもって苦しんでいます。心の中に憎しみをもって苦しんでいる人も多くいます。伝道集会において、一晩で何千人もの人たちに解放の祈りをしなければなりません。多くの人々が霊的な問題を持っています。いやしを必要とする方々が来られます。一人の姉妹は寝たきりで、ただ死を待つだけでした。その上彼女は肺炎になっていました。私はその方に、イエスの素晴らしさを証ししました。彼女はイエスを自分の救い主として心にも迎えました。その後、彼女のために祈りました。けれども祈っていた時に、神が彼女を祝福出来ないことを感じました。板に向かって祈っているような感じがしました

その時、私は神に叫びました。

「神様、どういうことでしょう」

すると、神は私にこの言葉を語られました。

「憎しみ」

私は彼女にこう言いました。

「神はあなたを祝福することが出来ません。なぜかと言いますと、あなたの心には憎しみがあるからです。誰を憎んでいるのですか?」

「私は誰も憎んでいません。」

みんなと仲良くしていますよ。」

私は、「神様、いったいこれはどういうことでじょう」と、もう一度聞きました。すると聖霊は、私に彼女の嫁との関係が問題であると語られました。

私は彼女に、何人のお嫁さんがいますか。尋ねました。彼女は「三人」と答えました。

「マリヤ、ローサ、エステル」ということです。

私は彼女に「マリヤとの関係はどうですかと」と聞きました。

では「ローサ」のことはどうですか。

答えがありません。

「どうして答えないのですか」

「ローサのことは言わないで、彼女は本当に汚い人です。私の息子も孫も奪った。あの人は本当に汚いのです人です。」

私は、彼女に言いました。

「もし、あなたが彼女を赦すことが出来なければ、神様はあなたに対して、何もすることが出来ません。

しかし、彼女は私に「赦せません」と言いました。

「赦す」ということは感情ではありません。それは私たちが決心することです。あなたの心に赦す気持ちがなくても、それを心配しないでください。

あなたがしなければならないことは、赦せると感じなくても、「イエス様、赦します」と決心することなのです。そして、それからのことはイエスがしてくださるのです。

「どうぞ心配しないでください。そして私と一緒に祈ってください。イエス様に、ローサを赦しますと言ってください。」

彼女は口の中でごもごもと言いました。

「いいえ、もっと大きな声でローサを赦しますと」と祈ってください。

そして彼女は「イエス様、ローサを赦します」と祈りました。

「もう一度言ってください」

イエス様、ローサを赦します。

「イエス様どうかローサを赦すことが出来るようにしてください。ローサを祝福します。私の息子を祝福します。私の孫を祝福します。」

 

彼女の二つの目から涙がこぼれました。そこで聖霊が働いて、彼女がその祈りを終えた時、に、彼女は本当に涙を流しました。それから、私に素敵な笑顔を見せてくれました。そしてこう言うのです。

「本当に赦した気がします。私の胸が熱くなりました。」

 

彼女は三年間歩くことが出来ませんでした。

「立ち上がって、歩いてみてください」と私は言いました・

彼女は立ち上がり、歩き始めたのです。完全にいやされました。赦しの力によっていやされたのです!

赦しには力があります!

 

私は、このアナコンディア師がした行動に何かを感じたのだ。いやしのみわざには、赦さない思いがあるならば、それを解決しないと、いやしは起こらないということである。つまり、“イエス・キリストの御名によって赦すという信仰があれば、いやされるということだ。”

私は、この記事を読んで、いやしの基本的な祈りを改めて思わされた。御言葉を読んでいても、、赦すことが出来ない部分があるならば、聖霊様はいやしのみわざを現すことが出来ないと云うことである。聖霊様を阻むものが自分の中にあるならば、聖霊様が入れないということだと思うのだ。

 

私たちの人生の歩みは、神様の手の上に乗って歩むならば、大きなずれは起きない。

 

さらに、アナコンディア先生の言葉は続きます。

 

神が私たちに与えようとしている祝福を、私たちの側で邪魔するようなことがあってはいけません。あなたの心は神の前でどうなっているでしょうか。誰か憎しみを持っていませんか。まだあなたが赦していない人がいませんか。もし、あなたが赦すことが出来なければ、神はあなたを赦すことは出来ません。神はあなたが「イエス様、私は赦します」と言うことを待っています。

サタンは私たちの心に憎しみを入れようとしています。しかし、私はその憎しみの結果を良く知っています。私自身も神に仕える身ですが、「神様、この兄弟を赦します。と告白しなければならない経験を通りました。」赦しを通して、イエスの偉大な力があなたの上に注がれます。

 

イエス様は語られました。

「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分では分からないのです。(ルカの福音書2334節)

 

みなさんにお願いがあります。憎むことを放棄してみよう。私も、赦せない思いがあった時代があった。憎しみを持ち続けた時代があった。そういう時は、苦しい思いに縛られることをよく知っている。自分に関わった一人ひとりを赦すなら、あなたの心が楽になる。必ず楽になる。聖霊様があなたを「祝福」して下さるからだ。あなたはどちらを選びますか?

そうです。「祝福」の中にいれば、何も心配することはない。主と共に歩む人生は素晴らしい祝福がこ約束されているからだ。

「祝福」は、あなたの体もいやされる。御言葉はそう語っている。

 

カルロス・アナコンディア著、聖霊の愛と力・マルコーシュ・パブリケーション・P4145・抜粋