論文 

                    第一回

  

        リバイバルの歴史を探る  神が歴史の中でどのように働いたのか

 

 

  私は、三つの神学校で学んだ。そのわけは、御言葉を読めば読むほど、その奥深さに驚いたからである。最初は、関東学院大学神学部であった。その時、私は18歳だった。何と若かったのだろうか。69才になろうとしている私は、それだけで感無量になる。二番目は、バプテスト同盟の宣教研修所であった。その時は、40才くらいであったか。三つ目は、ハーベスト神学大学日本校であった。

 60才の時であった。家内と二人での学びであった。考えてみると、60才になった時の学びが一番充実していたと思う。家内と共の学び舎は、新鮮でまた充実していたように思う。家内と東海大学駅駅まで自転車に乗って、大きく急な坂道を猛烈なスピードで山を下る。まさに飛行機が滑空するような気分であった。これが本当に楽しかった。60才でこんなことに楽しさを感じるのだから、若い青年はさまざまな分野でスポーツをする気持ちが分かりはじめた。

 しかし、帰りは大変であった。坂を登るのはたやすくない。体力を使い果たすような難関であった。雨の日は傘をさすことが出来ず自転車を押して、とにかく登る。登るであるのだが、嵐の時は、傘がを使えずびしょびしょで、東海大学の中にある武道館のへりに大きな大きなくぼみがあるのだが、雨で冠水していていて分からず、家内は自転車ごと突っ込んで、もうめちゃくちゃ、雷がすぐそばに落ちてすさまじく、びしょびしょになっている姿を見合って、笑い転げたこともあった。しかし、牧会しての学びであるから、時間が来たら、授業の途中でも教会に戻った。それはそれは必死に戻ったのだった。平塚から静岡に行くことが決まり、引っ越しをする間も、論文を一行でも書いた。私にとっての喜びであったからだ。静岡に行ってから、相手がブラジル人とペルー人で文化もわからず、言葉もわからない中で苦しんだがそれでも、一行でも、二行でもいいからパソコンに打ちこんでいた。論文とは、自分の目で確かめることが出来るものであるから、私がもっと知りたい思うぶんいくらでも書ける。時間を経てだんだんと原稿が増えて厚くなっていくと、私の心の内部で感謝と喜びがあふれてくるのを感じはじめてきたのだった。60才からの学びは、家内と隣り合わせでの学びであったが、同じ地平にいるから、食事をしている時も、とにかく会話は御言葉ばかり、常に授業の話し、御言葉の解釈など、感動を語り合い続けた、霊的な地平をさらに高く、広くさせてくれた。そして、それがまた重要な学びでであったことを思うのであった。

 

 私の論文は二年間にわたって書いたものだった。これから、折りに付け、書いて行きたいと思う。内容は、「世界のリバイバルの歴史を探る - 神が歴史の中でどのように働いたのか」と云うタイトルだった。長い時間がかかると思うが、少しずつ書いていくことにする。あと100ぺージ書きたかったが時間切れで提出した。今は、自由だから、200ページ多く、さらに深く、リバイバルの本質を追及したい。

 

 

                     第一章

 

                    使徒行伝から

                     聖霊のバプテスマ

 

 ヨハネは水のバプテスマを授けたが、間もなくあなたがたは聖霊のバプテスマを授けられる。とイエス様は語った。使徒1:5

 イエス・キリストさまの指示は少々理解しがたいものであった。「イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、私から聞いた父の約束を待ちなさい。」と言われた。さらに、「あなたがたは聖霊のバプテスマを受ける。」彼らはイエスと交わることは知っていたが、聖霊によってバプテスマを受けることの意味については何も知っていなかったからである。しかし、彼らは自分たちの耳で聞いただけではなく心で聞いたのだ。彼らはイエス・キリストさまと直接会うことが出来た喜びは言葉に言い表すことも出来ない思いであったことは容易に想起出来る。そして、イエス・キリストさまの最後に言われた言葉をしっかいと受け止めたのだった。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、私の証人になるであろう。」この言葉を残して天に帰られたのだった。この120人のクリスチャンは屋上の間に集まり、祈りをはじめたのである。(1)

そして、彼ら120人の人々のすべてに、「聖霊様が来られたのであった」、彼らの語り方がまったく変わった。彼らは「御霊が話させてくださる通りに他国の言葉で話し出したのであった。120人の祈りは力強いものであろう。

ペンテコステで受けた力によって、彼らの人生は主にある者になった。その聖霊様が激し風となって彼らに臨んだのである

 

その様子は次のようであった。

1、それは突然に起こった。

2、激しい風が吹いた。

3、響きが起こった。その響きは家全体に及んだ。

4、みなは聖霊に満たされ、御霊が新しい言葉を語るようにさせた。

 

彼らは瞬時に「神との親密な交わりの中に入り、神の御心を知るという劇的体験をし、聖霊によって天の衣を着せられたのであった。聖霊の油注ぎを受け、神の用いられる器とされていった。聖霊の火は彼らを、偉大な宣教者としての道を歩ませはじめたのである。しかし、そこで見ていた周囲の人々にとっては、信じがたい光景であった。

聖霊の力によって劇的変化によって、人々が酒に酔っているのだと言いはじめたのである。そこで、ペテロが代表して、叫んで言った。

 

使徒2:14~17

14、そこで、ペテロは十一人と共に立ち上がり、その声を張り上げて、彼らにこう宣言した。「ユダヤの方々。そして、エルサレムにいるすべての方々よ。あなたがたのためにこの」ことを周知されるようになりなさい。そして、私に言葉に耳を傾けてください。

15、朝の三番目の時刻ですから、あなたがたが思っているように、この人々は酔っているのではありません。

 

ペテロはヨエル書2:28~32引用し、人々に説明をするのであった。それ程に人々にとっては驚くべき出来事として映ったのである。

 

聖霊によってペテロはキリストのメッセ―ジを語りはじめた。

16、それどころか、このことこそ、預言者ヨエルによって言われてきたことです。

17、『神は言われる。終末時代に、私は私の霊をすべての肉なるものの上に注ぎだそう。すると、あなたがたの息子、娘は預言する。あなたがたの青年は幻を見、あなたがたの老人は夢を見る。

 

人々はペテロの一語一語に心を刺され、、、、また感動したのであった。

 

デニス・ベネットは、その著書の中で、こう述べている。

「聖霊は、彼らから周囲の人々へとあふれ流れ、彼らの言葉でなく、新しい言語においても神を誉めたたらせ、栄光を帰されました。神はそうさせるために、彼らの舌を従わせ、彼らの霊を解放し、彼らの思いを新しくし、彼らの体を新しくし、彼らの体を強め、証しする力を与えたのです。」(2)

 

注2、ベニーヒン著「聖霊様、歓迎します」p297(マルコーシュ・パブリケーション)

 

ジョン・キルパトリックは、その著書の中で、こう述べている。

「リバイバルをもたらすのは、神以外にはありません。人の企画や制度、公式が生み出す産物ではありません。祈りや断食ですら、リバイバルの土台を整えるにすぎないのです。収穫の主だけが、いつ、どのように、訪れるかを決められるのです。それでも、主を求める者に、主は喜んで出会いを早めてくださることを、私たちは知っています。(3)

 

注3、ジョン・キルパトリック著・「天が開かれる時」p30

 

「神とのつながり方を誰かが再発見しない限り、また誰かが高いリバイバルの代価を進んで支払わない限り、真のリバイバルは過去の思いでになってしまうでしょう。神は決してリバイバルのバーゲンセールはなさいません。リバイバルの価値は、いつの時代でも変わることがないからです。(4

 

注4、同p22

 

教会に一番必要なのは、新しい説教でもなく、新しいわーシップを聞いたり、歌ったりすることでもない。必要不可欠なのは、神と御言葉に従う訓練。従順は天を開き、不従順は天を閉ざす。祈ることにいのちを捧げて、神の御手だけではなく、御顔を求めて、共に祈る人々を助け支えることこそ、私たちが求められている。従順で力強い戦士が必要である。門を打ち破ることを祈り求め、大胆に御言葉を宣言することによって、サタンは領土を砲撃し、悪の軍勢と闇の支配者を揺るがす祈り手が必要である。神の祝福が再び降りるように、私たちは天の穴を開けなければならない。

同p36

熱心な祈りと断固とした従順によって、閉ざされた天が開かれ、神の栄光が神との正しい関係を持ち、神に従い、サタンにおうおうしく立ち向かって勇敢に戦い抜くことが求められる。 同p5

 

 

 

こうして新約聖書におけるリバイバルが開始されたのである