2017年7月30日 主日礼拝
礼拝メッセージ
人はパンのみで生きるのではない マタイ4:1~11
1、さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上っていかれた。
2、そして、40日40夜断食をした後で、空腹を覚えられた。
3、すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石をパンになるように、に命じなさい。」
4、イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による』と書いてある。
5、すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂きに立たせて、
6、言った、「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いに命じて、その手にあなたを支えさせ、あなたの足が、石に打ち当たることがないうにされる』と書いてあるから。
7、イエスは言われた。『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。
8、今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世の全ての国々とその栄華を見せて、
9、言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、それを全部あなたたに差し上げましょう。」
10、イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、』主にだけ仕えよ」と書いてある。
11、すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。
イエス様は、福音を伝えるために神の子として働きを持つ始めに、聖霊様に導かれて、荒野へ連れだされたました。40日40夜の断食をはじめました。
1節『御霊に導かれ荒野へ上って行った。』
『御霊によって連れ出された』
イスラエルの国土は、日本の四国ほどの大きさです。首都であるエルサレムは高度800メートル、30キロ東に行きますと、世界で最も低い場所、海抜マイナス400メートルで、死海があります。死海は、塩の海で、世界で唯一、海に入ると、人は浮くだけで、沈むことは出来ません。しかし、不思議なことに、死海に魚がいるのです。そこだけは、淡水で魚が自由に泳いでいます。
また、無尽蔵にある塩があります。死海の外側にガス田が発掘されています。
また、イスラエルの荒野は、言葉どおり、昼間は40度、50度の太陽がさんさんと照らす世界であって、夜になると温度が一気に下がり、昼間は地中で生きている、トカゲや、毒を持つ、針ネズミ等、が出て来ます。人間が荒野で生きることは不可能な場所です。
この荒野にイエス様は40日40夜断食をされたということです。
どれ程の大変であったか、想像しても想像し切れるものではありません。
そのイエス様は、荒野へ行くことは、父なる神の御心であったことが分かります。御言葉の最初に、悪魔の「試みを」受けるために行ったと書かれていますし、また、御霊によって荒野連れ出されたからです。
ここで、まず知ることは、父なる神の御心を分かるために、イエス様の意志よりも、父なる神様の意志が先にあったということです。聖霊様を用いて、イエス様は荒野へ連れ出されたのです。
ここで、イエス様が「試みに会うために」と書かれてあります。
「試み」と訳されている言葉の意味ですが、
「原文では、二つの意味があります。」
一つは、真の神に従う信仰を持つために、神の試みにあうと云う意味。
二つは、悪魔が罪に誘うことで、「誘惑」と呼ばれる内容。です。
ここでは、「悪魔の試み」に会ういうことですから、後者の意味と理解しています。
イエス様は、公生涯を生きるために、最初に、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けて、次に、この荒野へ行きました。
現在では、「誘惑の山」として、公表されていて、観光地になっているようです。
悪魔が登場します。
悪魔の存在を否定してはいけません。
悪魔は旧約の時代から、今日の時代においても、同じように存在しますから、良く知っておいてください。今日の時代は悪魔が縦横無尽に動き回っています。
この悪魔はイエス様が断食を終えた時に現れます。
1つは、「あなたはが神の子なら」と悪魔は言いました。
「神の子なら」6節でも同じ言葉を使います。
神の子は ⇒ 救い主=メシアです。
イエス様は、人間の姿をとってこの地上に遣わされましたので、私たちと同じ人間なのです。痛い時は痛いのです。イエス様は神の子だから、痛くないと云う方がいますが間違いです。
ですから、断食をすればお腹が空きます。
サタンはイエス様に、大いなる誘惑をしました。
聖書では、「試みる」とされています。
悪魔です。別の名を「サタン」「試みる者」です。
2つは、すると、試みる者が近寄って来て、「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。
サタンはこう言いました。
するとイエス様は、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による」と書いてある。と言われました。
このイエス様の言葉が、今日のメッセージの中心です。
この言葉は、申命記8:3に書かれてあります。
3、それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたを知らず、あなたの祖先たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出る全てのもので生きる、ということを、あなたに分からせるためである。
⇒ イエス様は、旧約聖書を持ち出して、人々に語りました。
⇒ エジプトで奴隷状態になり、苦しみの中にあったイスラエルの民が、脱出して、生まれ故郷に帰る、40年間続けていた時に、食べ物がない、飲み物もない、そういう中で、神様は不思議な食べ物を天から降り注がれました。それは、彼らが初めて手にする食料でした。
⇒ その時に、モーセは神様の御心を受けて、同胞に、「人はパンだけで生きるのではなく、主の口から出る出る全てのもので生きる。ことを言いました。
イエス様が生まれたのは、イスラエルのベツレヘムです。小さな村でありました。イスラエル人の=ユダヤ人たちは、どこにいても、シナゴーグ=会堂、集会場、があります。生まれた時からユダヤ教の中で、シナゴーグで聖書を学ぶことが習慣となっていて、生活の中にシナゴーグがありました。赤ちゃんの時から学び、遊びのように通っていました。
ですから、イエス様も同じでなのです。ユダヤ教の御言葉を学んでいました。暗記するしか方法がありません。聖書は当時の律法学者しか開かれることはありませんでした。ユダヤ人の生活の中心です。
イエス様は、旧約聖書を引用されたゆえんです。
イエス様は、人間にとってパンは必要であることをイエス様はまず語りました。
マタイ14:15~21
15、夕方になったので、弟子たちはイエスの所に来て言った。「ここは寂しい所ですですし、時刻ももう回っています。ですから群衆を解散させてください。そして村に行って、めいめいで食物を買うようにさせてください。
16、しかし、イエスは言われた。「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。
17、しかし、弟子たちは言った。「ここにはパンが5つと魚2匹よりほかありません。
18、すると、イエスは言われた。「それを、ここに持て来なさい。
19、そしてイエスは、群衆に命じて草の上に座らせ、5つのパンと2匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えたので、弟子たちは群衆に配った。
20、人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、12かごにいっぱいにあった。
21、食べ物は、女の子供を除いて、男5千人ほどであった。
この奇跡は、福音書すべてに書かれてあります。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの著者が全て書いているのです。
この奇跡は、外せないと各著者は啓示を受けていたことが分かります。
群衆は5千人であったとありますが、男だけを数えていますから、子供もいたでしょう。女性もいたのですから、1000人はいたと推測出来ます。
この奇跡は、私たち人間が、食物がなければ生きて行けないことを語っています。イエス様は、群衆に5つのパンと2匹に魚を祝福したのです。ここは、非常に大切なのです。人間は食べることが出来ないなら死んでしまいます。
「祝福する」という言葉の力と意味は、現在も同じなのです。牧師が祈る時、最後に祝福して祈ります。と必ず言います。
それは、祝福することが重要だからです。
ここでは、『天を見上げて祝福しています。』
イエス様が天を見上げることは、天にいるアバ父を指しています。
余りは12かごでした。12は弟子たちの数です。
この言葉は誤解を受けるのです。キリスト教は観念的だと言うのです。聖書はたましいの問題しかは考えていない。現実的パンの問題を無視している。と云う批判です。しかし、ここではそうは語られいません。
イエス様は決してパンの必要性を否定していません。
問題は、「パン=か=神の言葉か」ではなく、
あれか、これかではありません。
パンか、神の言葉と=どちらが第一か。ということで
マタイ6:31~33
31、こういうものはみな、異邦人が切に求めていることなのです。しかし、
あなたがたの天の父は、それがみなあなたの天の父は、それがみなあなたに必要であることを知っておられます。
32、だから、、神の国と神の義を第一にもとめなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
33、だから、明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。
労苦はその日その日に十分あります。
私たちの教会は、当たり前です。
神様が1番目、次に家族、家族を大切にしないで教会ということは間違いです。ですから、ここにいつも御言葉を注目するのです。
そして、断食でありますが、ユダヤ人の断食は、少量の水とわずかな食物を取ることが許されていました。イエス様はどうされたのでしょうか。牧師は、40日の断食をしまし。1昨年もしました。お正月の第一日めからです。1日、8000ミリから9000ミリを飲みました。ボトル8~9本が毎日の日課です。それでも、整体の仕事、も教会の仕事もしていました。日本人は酵素摂取必要です。の日本人は酵素を持った食事がないのです。納豆、漬物、豆腐等を摂取する習慣が」ありありません。韓国人はキムチがあります。キムチは酵素が一番多くあります。酵素がないと体が参ります。しかし、何でもありません。最初の3~4日が苦しいのです。お腹が空き、食べたいという思い襲って来ます。そこを通り過ると、何でもなくってしまいます。もう一つは、酵素をカップ一杯飲むだけです。
息子が一緒のテーブルで食事をしないと言いした。かわいそうだから、ということでした。お父さんはお腹空かないからいいんだよ、と言ったことを思い出します。
『断食は、肉体の力が弱くなって、霊的力が全面に出るのです。』
顔は元気一杯で、肌はテカテカとなって最高の血色状態になります。霊的戦いはすこぶる良いのです。人間の欲望が無くなります。まったく霊的になるのです。
ルカ4:13
13、誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた。
14、イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると評判が回り一帯に、くまなく広まった。
断食は『肉体と霊が逆転する状態』になります。
イエス様は、メシア=救い主として人類を救おうとする時、「石がパンになるように命令せよ。と言いました。しかし、人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉に生きる。
悪魔の誘惑を退け、神様の言葉に従って、イエス様ご自身が、十字架で死ぬためにこの世に来たのだと、十字架の死に直面するすることを分かっていて、その目的に向かっていることを意識し、戦いに出て行ったと思うのです。
何故ならば、イエス様はこの時の誘惑の後から、公生涯に入ったからです。この40日の断食は並大抵ではなかった。それは良く分かります。何故なら、イエス様が断食をされたのは、荒野だったからです。昼間が40度から50度で、木陰に行きたくても、只、40日断食をしたというだけで、並べること自体がおかしいからです。石と砂、断崖絶壁です。石の陰にいたのでしょうか。
この荒野での試みは、イエス様が十字架にお掛りになるための準備だったと思てってもおかしくありません。イエス様は、そこに向かって行ったからです。
『死ぬために生きた』からです。
イエス様は、この時に3つの誘惑を受けます。
次は2番目
5、またが、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂きに立たせて、
6、言った。あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いに命じて、その手にあなたを支えさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。
7、イエスは言われた。「あなたの神である主を、試みてはならない。」とも書いてある。
8、今度悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世の全ての国々とその繁栄と栄華を見せて、
9、言った「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう』
10、イエスは言われた。引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。
11、すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。
悪魔は、神の都エルサレムの光景を見せて言いました。高い山に連れていかれて、ここから降りて見よと言われ、次には、悪魔にひて伏という言葉に、引き下がれ!サタン!と言い放ち撃退しました。
ここで突出すべきことがあります。
最初は、聖霊様が荒野へ連れて行かれました。
最後には、御使いが近づいて、イエス様に来て仕えた。
ここに「秘密」があります。
聖霊様と御使いがイエス様を守っていました。
40日40夜の断食がいかにすさまじいことだとしても聖霊様と御使いが仕えていました。
ヘブル1:14
14、御使いはみな、仕える霊であって、救いの相談者なる人々に仕えるために
遣わされたのではありませんか。
マザーテレサは語りました。
いつのことだったでしょうか。
ひとりの女性が子どもを抱いてやって来て
こう言いました。
マザー、私は食べ物をもらいに
あちこち訪ねました。
私たちは丸3日間、
何も食べていないのです。
けれど、人々は
あなたは若いんだから、自分で働いて
お金を稼ぎなざい。と言って
誰ひとりとして何もくれようとしなかったのです。
私は急いで食べ物を取りに行きました。
そして戻って来た時には、
子供は彼女の腕の中で、
飢えて死んでしまいました。
愛は今日始まります。
今日、誰かが苦しんでいます。
今日、誰かが路上にいます。
今日、誰かが飢えています。
私たちの働きは、
今日という日のためにあるのです。
昨日は過ぎてしまいました。
明日はまだ来ていないのです。
貧しい人の姿をしたイエス様を知って
愛して、食べ物を上げ、服を着せて
宿を用意することのために、
私たちには、今日だけがあるのです。
明日まで待ってはいけません。
今日、私たちが彼らに食べ物をあげなければ
彼らは、明日はもういないでしょう。
私たちの教会に、時々ホームレスの方が来られます。話しを聞きますが、私たちがすることのはじめはお風呂でシャワーを浴びることから始まります。服は京子先生が用意していますので、シャワーを浴びたなら、取り替えるようにしています。食事を差し上げます。次にお金をほしいと必ず言われます。その時、私が整体の治療費をもっていればそれを差し出します。(牧師は、整体の治療者の資格を持っています。)
私はそうすることが教会だと思うからです。
どこの教会もしないようですが、関係ありません。私たちはするのです。
イスラエルの国は60%が貧困線にいます。そのために、毎月献金を捧げています。里親となって1年間の食料、鉄道の切符、等が頂けるように捧げています。
また、また、イスラエル帰還のために、ブリジス・ホー・ピースの働きです。イスラエルの民は、神様が選んだ選民です。私たちは、イエス・キリストが救い主ですから、選民があって、私たちがありますから。
昨年、イスラエルに放火テロがありました。日本全国からもう一斉に献金が捧げられましたと感謝の言葉がありました。私たちもその中に一人です。
世界で一番捧げている国はアメリカで2番目に捧げている国が日本だそうです。
北朝鮮のへき地は、1年中食料があるかないかです。北朝鮮政府は、稲を作るお百姓さんが刈り入れの時、軍隊がやって来て、全部持って行ってしまいます。
北朝鮮の山は全部畑になっています。ですから、大雨が降ると山の頂上から雪崩落ちるのでう。あらゆるもの失われます。こういう食料は平壌が手に入れています。それらは、軍事政権がカモフラージュしています。へき地の方々はもう大変なんです。餓死者が出ます。最初の独裁者、金 イルソンです。核の貯蔵庫の坑道は、強制収容所で捕らえられている方々が働かせられていると思います。
田んぼに稲の穂を植えます。その植え方が日本の田植えの間隔の倍狭く、お互いに栄養が行きません。ミサイルを生産をしてアメリカに向けています。しかし、その影でどれだけの人々が苦しんでいることでしょうか。
北朝鮮から中国に逃げようとして来る方々がいます。脱北者が逃げる場所は中国の北側に朝鮮族が沢山います。一つの多きな勢力が存在しています。言葉が通じるので逃げて来るのです。私は、彼らを助けるために、沢山の献金を預かり3年間行きました。・・・・・・・・・子供を産んで、捨てられる子供たちを・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・その牧師の子供たちは、牧師になるために献身している・・・・・。
私はその若き青年たちの神学校で聖書を教えました。教える私のほうが胸に詰まって涙を出しました。彼らは・・・・・・・・・
この働きのためにも捧げています。
中国はリバイバルが続いています。クリスチャンが次々に生まれています。それに正比例して聖書があるかと言いますと、全く不足しています。そのために、聖書を書いて写つしたり、暗記をするのです。聖書がないと、異端が発生する危険がありますから、この働きも献金もしています。聖書を運ぶ働きです。
みなさん。世界には様々な理由で苦しみ、どん底にある人々がいますが、聖霊様の助けで、また、御使いの支えで生きています。ひたむきに生きています。
みなさん、牧師は沢山の方々と接して来たのです。
人はパンだけで生きるのではありません。神の口か出るひとつ一つの言葉によって生きるのです。」
祈ります。
父なる神様、今日の聖日を迎えられたことを感謝いたします。この一週間守られて来たことをも感謝いたします。今日は、人はパンだけで生きるのではないことを学びました。
私たちは、どこで何があるか分かりません。労するのは今日一日だけです。明日は分かりません。明日はどうなっているかが分かれば、それは、人間らしくありません。明日が分からないから、今日の日を大切にします。どうか主よ。聖霊様
あなたの御臨在をこの一週間、ひとり一人に覆ってくさいあますように。心から願います。
イエス様、あなたを求めます。
イエス様、あなたとお会いしたいです。
顔と顔を合わせることを願い求めます。
この祈りを主イエス・キリストの御名によって祝福し祈ります。